雪が積もると
大晦日に積もった雪が多くて、なかなか溶けない。その中を歩いて郵便局まで行った。雪が積もると歩行者は危険になる。車道は除雪されているが、歩道は人が歩いた足跡が雪の中に残っている。ここを歩きたくはない。
ということで車道を歩くことにする。車が来なくて良かったけど、たいていの人が車道を歩いている。この道は公道です。
公道から生活道に入ると、かろうじて除雪されてはいるけど、車がすれ違うには雪に突っ込むことになり、この二台の車は互いに躊躇していた。
途中で曲がって、まっすぐに進むと市庁舎の通りにつながる道に入る。この道は除雪車が入らないので車道に雪が残る。住む人達が歩道をあけているので歩きやすい。
駅からの道に交差しているこの場所に来ると歩道は全くあけてない。ここは役所と銀行があり、正月休みで全てが止まっている。
ここは車道を通るしかない。次の角まで来るときれいに取り除かれた道となる。右に市役所がある。が、歩道は雪で埋まっている。
この横断歩道を見ながら振り返るとこんなです。あきらかに除雪車が通った場所との違いがわかります。除雪車は雪の深い場所に住む人達がその代金を負担してます。ので、それを払ってない所は除雪されないのです。そういうことは住んでみないとわからないですね!
久々の大雪でしたが、何年か前に比べると雪あけする人が少なくなりました。正月休みということと新型コロナ感染で家族が少ないせいもあったのでしょう。
謹賀新年 2021年
2021年、明けました。ようこそ我が家に!!
今年も昨年に引き続いて、全人類が新型コロナの脅威にふりまわされてますね。なかなか先が見えない年明けになりました。経済が立ちゆかないという不安があって、多くの人が仕事を失って住むところがなくなるとか、悲しいことが続いてます。そんな年明けです。
なんだろう?世の中が妙に騒々しい。ツイッターやFB、lineなど、遠くの人とでも簡単に話したり連絡できるようになって、良いこと、良くないこと、時に危険なことが増えてますね〜
これから、どこに行くのか?どうなるのか?全く私の想像の域を超えてます。
その中で私の生活は以前に比べると落ち着いているのかもしれないです。
10年前までは織三昧でしたが、その後、ゆっくりと座って織をする時間のない日々が続き、今、なんとか出来る状態になっても織る体制を元に戻すことが出来ないでいます。
気づいたら、すでに77歳、以前はお腹を締めていたのに、今はすぐに緩めてしまって、気づくとお腹の弛みが現れました。これでは脊椎間狭窄症に良くないと慌てて、運動を再開する。と、それだけで充分な時間を過ごしてしまう。やはり若くはない!!というのが実感です。
まあ、なんというか、そういう落ち着きなんですが。。。
それでも今年は”織をする”という目標を立てて、新年を迎えています。
2021年元旦
小さな庭の冬支度
しばらくブログを書くことを休んでしまいました。
新型コロナという感染症が襲って来て、世界中で混乱する日々が続いてます。3月に神戸から和田山に帰って以来、買い物やちょっとした外出をするだけの毎日が9ヶ月、続いてます。
家の中で過ごすと行動範囲が小さくて、どうしても運動不足になるだけでなく間食が多くなる。ある日、いつの間にお腹がポッコリとなったのに気づきました。
あら、大変!と、最近はお腹を締めたり、家の中でできる運動をしたり、散歩に出かけたり、自転車で買い物に行くようにしてますが・・
12月に入って、やはり寒くなりました。来週には雪が降るという天気予報で車の一年点検に出した時に冬タイヤに交換しました。
そして庭の木々も冬支度してもらいました。
この木はトネリコ、柔らかくしなるので、野球のバットなどに使われるそうです。そのために塀にもたれかかりやすく、道路に倒れるとまずいし、雪がのると重みに弱いので、庭師さんがしっかりと家の柱にくくりました。
こちらはアラカシ、硬い木なので工具の柄などに利用されると聞きました。幹は強いので枝と枝が結ばれています。
トネリコの木の下にブルーベリーの木があります。この木は陽が当たらなくて実がつかないことが多いので、陽当たりの良い場所に移動することにしました。
以前、伯母が植えたハナミズキ、うどんこ病にかかってしまい切り倒しました。そこが少し歯抜けのようになってるし、陽当たりが良いので、その近くに移植しました。
こうして見るとまるで最初から、その場にいたみたいです。右側に赤く色づいているのもブルーベリーです。日当たりでこんなに葉の色が違うのですね。
移した跡にはシャガを少し、こちらは少し寂しくなりましたが、ここには陽が当たらなくて大丈夫な草花でも植えることにします。
そんなわけでいつ雪が降っても良い庭になりました。
この庭はブルーベリーの庭です。我が家の庭には最初、5本のブルーベリーが植えられました。一本は病気にかかって今はなく、一本は大きな鉢に植え替えられて息子たちの家に移動しました。今。写真の真ん中やや左側に一本、今回、植え替えた一本、そしてオレンジに色づいた一本と、3本のブルーベリーとなりました。孫娘が大好きなブルーベリーです。来年の収穫が楽しみです。
ひがんばな
今年の秋の訪れは少し遅いように感じましたが、 昨年の彼岸花を撮った日は9月28日でした。
そして場所は違っても同じエリアの彼岸花を昨日、撮ったのがこれです。
これを見るとそれほどの差はなさそうです。ここはいつもの散歩道、左に見える高校の運動場では生徒たちがサッカーを楽しんでました。新型コロナ感染は、このところ、この地域では報告されません。高校ではいつもの日常が少しづつ戻ってきているのでしょう。
我が家では山の上にあった墓の周辺が荒れてきているために倒木が増えたり、動物の気配を感じるようになったこと、高齢者が登ることでの転倒を避けるために平地の墓へ移動することにしました。昨日、墓のお正念抜きの法要をしてもらいました。彼岸花の時期というのがなんとなく印象的でした。彼岸花の花言葉は「情熱」「諦め」「独立」だそうです。
稲刈り
今朝は雨! 初秋は雨が多いから、仕方がないけどね〜
この頃は雨の予報を調べながら、その日の日程を決めることが多い。最近、車に乗るよりも自転車を使うことが多い。家で過ごす時間が多くなると、どうしても運動不足になってしまうから、運動を兼ねて自転車で出かけることにしてる。
一昨日もそうだった。午後から雨の予報なので午前中に出かけた。
久しぶりに乗ったのだろうか?
重い!ママチャリは何故か、三段ギヤなので、細かい調整が効かなくて、鈍った足にはきつい。とにかく前に前に!と進んでいると、田んぼエリアに入った。もう稲刈りが済んだ田もあれば、風で穂が垂れてる田もある。雨を見越して、稲刈りをしている田もある。
この田はコンバインに入ったイネをトラックに移す作業中だった。
コンバインは刈り取り、脱穀までしてしまう。すごい!
私が子供だった頃、稲刈り時期は学校も一週間ほど休みになって、農家の家では子供も手伝っていた。その間、私はすることがなく、友達の家の田んぼでイナゴ取りをしていたような・・・集めたイナゴは伯母が佃煮にしてた。味は覚えているけど、あまり好きではなかった。
用事を済ませて、30分も経った頃、この場所を通ると・・・
すでに全ての稲が刈り終わってました。
この場所、田んぼの畦には多くの雑草がしげり、近寄るとイナゴがピョンピョンと残った稲に向かって飛んでいく。あれ!こんなにイナゴがいるんだと驚く。他にも蝶や昆虫、そして蛙などの生き物が慌てて逃げていく。蛇だけには会いたくないと思いながら、畦道に目を光らせている。
刈られた田には小鳥たちがこぼれた稲をついばんでいる。カラスにサギも田に降り、近ずくと飛び立つ。頭上にはトンビが舞う。生き物の楽園かもしれない。が、何故か、私がこの地に住むようになった40年前から、ここに子どもの姿が見られない。
健忘症
えっ!そんな・・・(絶句)
TVのドラマ「すぐ死ぬんだから」を観て、面白いとKindleで本を購入、深夜を徹して読み切って、友人に「面白いよ」って、SMSしたら、「私も観たよ!借りてるその本を返してないことを思い出したわ」って、なに?「それって内館さんのよね?」「そうそう前に面白いからって貸してくれたじゃない」・・・
全く記憶から飛んでるし、内容も覚えてなかった?!わけで。。その上、面白いからって、本を貸してるなんて!!
私が読んで想像した世界とドラマでの展開の違いかなあ?
健忘症が進んでる!!
そういえば、人の名前を覚えるのがもともと不得意だったけど、この頃、よく知ってる人の名前が出てこない。「えーと誰だっけ、ほら、・・・な人」と他の人に助けを求めて、やっとたどり着いたりする。
有名な人の名前の場合はGoogleで特徴をいろいろと入れて、見つけるなどなど・・(悲)
最もまずいのは漢字を書こうとするとぼうっと形が見えるけど、書けない。
たぶん大丈夫か?と医者にかかると「仕方がないですよ。老人性健忘症が進んでるわけだから」と言われるんだろうなって。(泣)
もうすぐ収穫
ということで漢字検定のアプリを入れて、どの程度、忘れているのか、小学5年生からトレーニング挑戦中です。5年生は楽勝!読みに関しては高校在学レベルまで来てるけど・・
けど、ゲームですからね〜 こういうのに嵌ると終わりがなくて、まずい!!
雨の合間に
2週間前、神戸に行ってました。しばらく居るつもりでした。けど、このところのコロナ感染の増加で但馬に帰った方が良い、息子は今の感染の上昇傾向はマズイとの判断でした。70歳過ぎた私たちは重症化するから当然のことだと思います。
ということで、ここに帰って10日間になります。毎日、家にこもる日々となりました。運動不足になってしまうので、雨雲レーダーの動きを見ながら、雨の降らない時を見つけて、自転車で走ってます。で、マスクをしていると蒸してくるので外すことが多いのです。
と!、声をかけられます。でも止まらないで「こんにちは!」と通り過ぎます。今は蜜を避けないといけないですからね〜 マスクをしてないと近寄ることができません。そんなわけで申し訳ないけど、通り過ぎてます。
田舎なので若い人以外は知り合いばかりです。でも最近は誰だっけ?と思うことが多くなりました。知り合いが年齢を重ねてしまって・・・ 私の場合、しばらくこの地に居ないことが多かったので徐々に年齢を重ねていくのを見るという緩やかな時間の経過がなく、ひとっ飛びに数年が経過しているので一瞬、誰だっけ?となってしまうことが多くなりました。多分、向こうもそうなんだと思います。
時に、ああ、この家の前で「元気にしてる?」などと声を掛けあった人はもういないと思いながら、通り過ぎることがあります。その時の笑顔を思い出し、ふっと淋しさを感じます。
この地に越してきて40年、私の人生の中で最も長い居住地になりました。子ども時代を過ごした岐阜時代よりもその後の東京や横浜時代よりも長くなりました。今、岐阜の実家があった場所に行っても全く知らない場所となってしまいました。いつの間にか住宅地に変わってしまった田畑や小山、子どもの頃、小川で遊んだ場所を見つけるのは至難です。私の記憶の中には今だに存在しているのですが。そしてそこで同級生の姿を見つけることも無理です。お互いに老けましたから。
私の住む但馬で大きく変化した場所は高速道路のインターチェンジ(IC)が設置されたところでした。この場所は広々とした大きな空間をもった田んぼでした。初夏には緑、秋には黄金の大地となる素晴らしい場所でした。その真ん中に立つと、ちっぽけな自分を感じて、悩みも吹っ飛ぶようでした。
但馬は山と山に囲まれた狭い空間に人々が暮らしてます。人々は山裾に家を立て、真ん中に農地という暮らしをしてきました。その中で最も広い空間だったのです。
この写真は道路で寸断された片側です。道路の反対側にも同じように農地が広がってます。高速道路は山に向かって伸び、先はトンネルになってます。下にはみやげもの店、食堂、コンビニなどが出来ました。
今でも広いとは思うのですが。明治時代に鉄道が通って、でもこの場所に駅は困る、大切な農地が失われないように駅は離れた場所に建てられました。線路は山裾に。そして移動手段が鉄道から自動車に移行する時代になって、結局、ここにICが出来ました。
最初は高速道路はここまででした。降りて来た車はしばらく、この地を潤しました。けど今、道はもっと先まで延長されて、通り過ぎる車が多くなりました。交通手段が変えていく、人々の暮らしの変化をかいま見ました。
今はコロナのせいで鉄道や高速バスの利用が減ってます。個人の車で移動したり、買物には行かず通販で家まで運んでもらうなどが多くなってます。それが続くのでしょうか?
今後、どうなっていくのか、今は先が読めません。
卒業式
6月26日は孫の卒業式でした。昨年の卒業式は学校から少し離れた大聖堂に卒業生、在校生、教師全員、卒業生、在校生の家族が集まり、聖歌隊が賛美歌を歌い送り出したのですが。
今年はコロナの影響で式典はいつもとは大きく変わりました。参加するのは卒業生、関わりのある先生と、卒業生の家族二人まで、写真屋さんのみで、在校生、先生、他の家族や友人はネット配信のライブを見るという形でした。
ということで但馬に居る私はライブ配信での参加となりました。子どもたちは大きく間隔を空けて入場、その後は両側の長椅子に一人づつ、父兄は同じ椅子に座ってました。
ひとりひとり名前を呼ばれて、卒業証書を受け取りました。
どんな時にも目一杯、楽しむ孫はいつもと変わらず、Good!!と指を立てて笑顔でした。 NZで5歳から小学生が始まったので今12歳です。イギリス系の学校は日本やアメリカの学校と比べると一年早いのです。
老いを生きる
フィジーから日本に帰って、半年が過ぎた。
毎日、あれこれすることが多くて、先週は首がまわらなくなって痛みを抱えてしまった。でも今日はもう大丈夫。
これからはこのブログ「老いを生きる」というテーマで書いていこうと思う。
私の母が仕事を辞めたのは78歳の時だった。私もその年齢に近づいて来ている。2年ほど前から、物覚えが悪くなって来た。今さっき、覚えたはずの言葉がどうしても思い出せない。えっ!何だっけ?とまた最初からやり直すことが意外とある。特に英単語が覚えにくい。同じ言葉を何度も辞書で調べる。すでに知っているはずの単語のスペルまでがあやふやになって、いちいち辞書で確認することが多くなった。
このことで母が仕事を辞めた理由がよくわかった。となると今のうちに、しようと思っていたことをしておかないと結局、何も出来ないことになると昨晩、思った。
織りは、この何年か、日本にいない時があり、織りたいと思っても、それに集中できなくて、時間ばかりが経過し、全く織ってない。思うにすでに着尺といった細かい作業をする織りはできなくなっているに違いない。だとすると何を織ることができるのか、昨晩、考えてみた。いやいや、するしかない。
とにかく、いよいよ再開することにしよう!
部屋一杯に収まっている、染めた糸、まだ染めてない糸。埃をかぶった織りの道具などなど。。。生き返らせて形にしたい。
かって織りの先輩たちは今の私の年齢でも素晴らしい作品を作っておられた。まだできる間に大いに織りを楽しむことにしよう!
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