京都

この頃は

 昨年から織ではなく、絵を描くことにハマってまして・・・

 京都芸術大学の芸術学舎で、自由に描くことの楽しさや難しさに四苦八苦してます。

 

 他のメンバーはずいぶん前からの参加ですが、私は新人なので担当の先生はしっかりと見てくださるので、自信のないままになんとか描いてます。上の絵は先生の一筆が加わって花が生きてきたという・・

 春の講義が終わった後、自分の顔を100枚描くようにと課題を私に出されたので、毎日、描いてますが、鏡を見るたびに老いからは逃れられないと言われているようでキビシイですが。。。

 講義の中でしっかりきっちりデッサンしないで感じたものを描こうと言われます。これって、なかなか難しい!です。

 

京都へ

 昨日も京都に出かけてました。今回は油絵と水彩画の絵画塾の最終日、午後からの授業ですが朝一の特急で出かけました。駅でのいつもの写真を撮って乗り込むと、以前に比べると多くなってる乗客です。と言っても半分以上、空いてますが。

山陰線のプラットホームに来る度に写す機関庫(和田山駅)

 二条駅で下車、バスで堂本印象美術館に向かいました。この美術館に行くのは初めてです。立命館大学の前にあるんですね。堂本印象美術館 https://insho-domoto.com

 今、「山口華楊ーいのちに心をよせてー」が開催されてます。行くと良いよと先生からのお薦めで行ってきました。全くの素人の私が感想を書くのをお許しくださいね。対象、特に生き物を納得のいくまで写生されたであろう作品の数々でした。対象を包み込むような背景の色なのに対象を引き立てている。黒豹の眼、子馬の眼、狐の眼、作品全体に心を動かされるものがあってじわっと心に残ります。行って良かったです。

 午後の課題は10分間、ポーズをとるモデルさん(白いブラウス、茶色のズボン、スニーカー)をコピー用紙に水彩絵の具で描くというものでした。絵筆で直接、描くのは初めてだったので、なかなか慣れなく難しく苦戦しながらの最後まででした。対象をきちっと描くのは色で始めた意味がないように思えるし、対象と背景の色をどう使うのが良いのか、これはなかなか難しい課題なんだと思わされ、かえって描けない。ああ、子どもになりたいとつくづく思いました。

 この絵画塾は実に面白かったので、次も受講しようと思ってます。

ブログを書く時間がなくなり・・

 もう10月末になってしまいました。秋になって、したいことが増えてしまい、あれこれ積極的に行動しているので、ゆっくりと座って、ブログを書く時間がとれなく・・・日が経ってしまいました。

 今後も同じことになるでしょう。けど、月に2回ほどはアップしたいと思ってます。

 さてと!昨日は京都府立植物園に行ってました。植物園の中はそろそろ紅葉が始まってました。緑、黄色、茶、赤の世界のはじまりでした。

  

 この植物園に行くのは久々でした。ゆっくりと時間をかけて歩いたことはないのですが、公園とも違って植物園という名のとおり、多種の木々に囲まれて落ち着く場所です。写生をするところを探していると、鳥見の方々が数名、ベンチで話しておられました。つい、声かけしました。で、この場所で撮られている鳥の写真を見せていただいたり、カモの話をしたり・・

 彼らが移動し、このベンチの目の前が池になってて、その右手には紅葉し始めた木々が見える場所だったので、写生はここに決めて用意。大まかにスケッチし水彩絵の具で色をのせて・・・どの色も決して単一ではないのでなかなか思うようにはならなく苦戦!

 で、ついつい気になるのが池を泳ぎ、餌を啄むカルガモやマガモの姿・・・いつもよりも近いところにいて逃げないのが嬉しい・・

 夕方、日が翳る前の16時に終了し、植物園を後にしました。またここに写生に来よう!!と思ってます。

京都国際マンガミュージアム

 コロナ感染者が減ってきて規制が緩和される少し前の6月の下旬、京都の美術館で開催されていた「ポンペイ展」を夏休みに入った孫を誘って、観に行った。京都国立近代美術館の「鏑木清方展」や常設展もじっくりと観て、その後は京都四条を中心にぶらぶらとちょっとした買い物などを楽しんだ。

ポンペイの時代(〜西暦79年)にもカモがいたんだ。

 孫はもうすぐ12歳、女の子なのでこの散策は私にとっても楽しいものでした。息子二人を育てたけど、女の子って良いですね〜。自分の子ども時代を思い出して、こんなことが好きなのかなあとか、こういう気持ちは解るわとか、一緒に買い物しながら助言ができるのもワクワクでした。

 さて次の日は特に予定するものがなかったので、近くにマンガミュージアムがあるから、ちょっと行ってみようかということになり、地下鉄で一駅、上がって、Google mapを見ながら反対方向に・・迷った。オッとっと・・周りをよく見れば、案内板がありました。f^_^;

真ん中のボードには作り方、その周りの壁一面に年代別にマンガ

 さて朝一で入館しました。その時、入館者は数えるほどでした。どこに行けば良いのかと思うほど、あまり職員がいないので掲示されている番号に沿って、階段を上がって3階まで一通りの展示を見た後、一階に戻る。そこで孫は英語に翻訳されているマンガを読み始める。その場には中国語、韓国語、その他の言語に翻訳されたマンガが収納されていて、意外と多い。。

 

この壁にはこのように1970年代のマンガが壁いっぱいに・・

 私は他の用事を済ませてしまいたいので一旦、出る。ここは一度、入場券を買うと一日中、出入り自由なのが良かった。用事を済ませて戻ると孫は最初の場所でマンガを読み耽っている。

 お昼になるのでミュージアムエリアのカフェに行く。これはマンガ好きにはたまらないだろう!!

 午後、私も昔、読んだ懐かしい本を見つけて、読みだす。いつの間にか入館者が増えていて、並べられた椅子に少し間隔を空けて、大人がずらりと。そうだ、日本の小学校はまだ休みではないのだと思う。

私の子ども時代の漫画

 ある程度、読んだところで孫のいた場所に行くと彼女がいない!あれ!どこに行ったのか!?

ふふふ、いました!

 彼女らしい座り方!彼女、いわく「外に出てベランダの椅子で読もうと思ったら、どこも空いてなかったのでじゃあ、庭の真ん中で読むことにした」って。

 結局、一日中、マンガミュージアムにいて帰宅したのでした。

 

旅の絵本

 このところ、家に潜んでいる。と、友人が外に誘ってくれた。コロナ時代、狭い場所には行けない。外で過ごす場所を探して、それぞれの車で出かけた。たまたま日曜美術館で安野光雅を取り上げていたので久美浜にある「森の中の家安野光雅館」に行く。

 我が家から久美浜に行く時は夜久野峠を越えて行くことが多いし、ナビもその道を案内するので久々に峠を越す。以前はジグザクと山に沿って、曲がりくねった道でがけ崩れの後を気にしながら走った。なんと谷をゆったりとカーブしながら降りて行ける新しい道になっていた。その前後は以前と変わらないけど、走りやすくなっていた。

 1時間ほどで着いた。ここは何度か、訪れている。友人たちは豊岡なので近くて、すでに着いたいた。レストランの外の椅子に座っているマスクで顔を覆った怪しげなふたりと合流。

 安野光雅館に入ると鑑賞する人が思ったよりも多い。一枚の絵の中に潜む多くの動物を探すという企画もあり、絵の前で盛り上がっているし、私たちも探す。30年以上前に「旅の絵本」を買って以来、安野光雅のファンなので、その頃の子どもたちとの会話を思い出す。旅人を探したり、神話や童話、聖書、などなどの一場面を見つけることが面白く、夢中になって、絵の世界に入り込んだものだ。

 たぶん、「旅の絵本」のⅣまでは読んだと思う。Ⅴはどうだったか、覚えていない。で、ⅤとⅥ、Ⅷを買った。「旅の絵本」その2枚目をめくると、Ⅴはスペインのカダケス、Ⅵはデンマークのスケーエン、Ⅷは日本という。それが下の写真。

 旅人は小舟から浜に上陸して、その国を旅して行く。デンマークと日本の浜の様子は他の本でも同じような小さな村に着いて、そこから物語は展開していく。スペインのカダケスは村ではなく町なんだと思った。もちろん、波止場は町(街)が多いからね〜

 例えば、フィジーのスバもそうだった。けど、大きな船が着く港。

 この大きな船の港の近くでは仕事に行く人や物を運ぶ人たちの船が行き交っている。船着場の周りには人々が集っている。

「旅の絵本」の旅人が上陸する浜は小さな村や町がいいな!

フィジーだったら、こんなところかな。

 スペインのカダケスの町の雰囲気は人の声が聞こえて来るようで、懐かしさを感じて、いいね〜

 などなどと勝手な感想を述べながら、実は楽しんでいるわけで・・・

 その後、レストランでランチ、庭のテーブルで2時間ほど、おしゃべりしてから、時間をかけて徐々に造られている森を歩いた。いつの日か、ゆっくりと散策できる森の公園になるだろうねと話しながら。。。

 そして、それぞれの家に向かって帰る。山の中ばかりを走った。雪がすっかり消えていて、暖かで春!?と勘違いする日だった。

 

稲荷神社

誕生日の翌日、素晴らしく美しい空!思い立って、伏見稲荷に向かった。

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なぜ伏見なの?って・・何故だかわからないんだけど。

稲荷駅を降りるとすぐに境内に入る。りっぱな伏見稲荷神社の本殿がある。ゴールデンウィーク、この神社の周りの道も人と車で賑わっている。境内には外国人も多い。着物姿の若い女性も・・

JR東海のポスターでも紹介されている千本鳥居に向かう。人の流れに逆らわず、ただただ歩く。赤い鳥居が長く続く景観は美しい。しかし立ち止まることもできず流れに身を任せるしかない。

そんな鳥居を抜けて、まだ先に、階段と鳥居が続く。どんどん進むとさすがに登る人の数は半減するがそれでも多くの人が上に上にと登っていく。

鳥居と階段が稲荷山の頂上まで延々と続いていることは事前情報でわかっていたけど。それは自転車事故後の私にはかなりの強行軍。。。それでも・・登りたい。

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行けども行けども、この鳥居と階段は続く。

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人々はひたすら登る。外国の人々も多く、けっこう賑やかに登っていく。

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見晴らしが良い場所で少し休憩。四つ辻の手前。なにしろ階段には休む場所がなく、空いていても聖域で座れない。こんな空間は嬉しい。

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京都市内が遠くに小さく見えている。

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定位置って、どこかしらね?

その後、四つ辻の茶屋でソフトクリームを・・暑くなった身体には嬉しい。さて四つ辻から御膳谷奉拝所、御剱社、一ノ峰、二ノ峰、間の峰、三ノ峰と巡る。30分コースらしいが・・健脚ならば行けると思うが、階段を登り、下るのは至難の業となる。30分はとても無理。息が切れて続かない。

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写真はないが御膳谷奉拝所でご祈祷をお願いする。三つの峰の渓谷がここに集まって一の峰、二の峰、三の峰を拝する要の所。ここの奉拝所は小さな社だが目の前の御饌石の両横に天に向かって真っすぐに伸びたご神木が立つ。見上げるとご神木の上には青い空が・・神が降臨するにはふさわしい。今は田植えの時期、五穀豊穣の神様へ祈りを捧げた。

かってこの場所は普通の人が入れない聖域だったと神官さんから聞く。

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山頂に向かって、ひたすら歩く、登る。着物姿の人たちや高いハイヒールの人、重い荷物をもった人、お年寄り(私もだが。。)、小さな子ども連れの方々は途中で諦めてしまうのだろう。登る人はかなり少なくなる。

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やっと山頂に着く。山頂かと茶屋に訪ねる人がいるのかな?もうここまで来ると足の指の痛みが始まって・・とにかく戻りたい。

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全行程、4時間の山歩きを終え、帰りの電車では爆睡、家に帰り着く。足の指やら、腰などなど痛みがあって、思いがけなくハードな山歩きだった。どこまでも続く階段という山歩きを初めて経験した。

そうそう、途中の荒木神社で可愛いきつねのおみくじを求めた。帰って開けたら、今歳はすごく良い運勢になりそう!

 

京都駅では

季節の変わり目は雨が多い。今日も雨、山陰線の車窓から見えるのは靄っている里山。

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いつもの時間にいつもの特急、ちょっと出かけようとすれば、この時間しかない。

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京都着が10時過ぎ、浜松に行くには56分のひかり号しかない。で、待ち時間にランチを買って…プラットホームに。いつものように53分発の「のぞみ号」が入ってきて、ドアが開く頃、ひかり号が入ってくる表示が。。のぞみ号のドアが閉まり、プラットホームを抜ける頃、56分発のひかり号がホームに入る。この間が3分か・・・

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ふと時刻掲示板を見ると、次の「こだま号」は59分。

京都駅では3分おきに東京行きの新幹線が発車してるんだ!って気づいた日。

 

 

幸せ感

歩くには無理だと曲がりくねった細い坂道をタクシーで宿に着いた時、辺りは真っ暗になっていた。美味しいとはとても言えない夕食をすませ、大浴場には行かず古いユニットバスに入る。この時期の京都は観光シーズンで11月に入ってから宿を取るのは難しい。ちょっと不便だけど、まあ良いかと予約した宿、今時、めずらしくテレビもない部屋だった。次の作品のために草稿を描くつもりだったけど、暖房を入れて暖かくしたら睡魔に襲われてしまった。

早く寝たせいで5時半に目覚めてしまった。外はまだ暗い。うとうとしているうちに徐々に明るくなってきた。と。。
あれー!これは!?と窓の外に現われた光景にびっくり!窓を開けて、身を乗り出す。

思いがけない光景だった。急いで着替えて、フロントに行く。
この景色がよく見える場所に行きたいのだけど、どう行くのが良いの?と訊ねると
三階の非常口から行くのが良いでしょうと。

その非常口を開けるとまたまた予期しない光景が待ってました。

これって能舞台ではないか。どういうことなんだろう?
この宿、どう見ても洋館なんだけど、妙なミスマッチに首を傾げながら進む。

このガラスの波打つような状態、かなり古い。。けど、能舞台が造られた後に入れたような気もする。

能舞台の向こうに美しい樹々が見えている。そのまま進む。
この能舞台の家屋のための門があり、そこから能舞台のある玄関までの通路に出た。

裏山を背にした空間に広がる樹々の美しさに息をのむ。

足元にも。。。

見上げて葉の色の重なりにうっとり!静かな時がながれていく。

もういちど庭に戻ると能舞台の庭に入る手前に下に向かう道がある。
進むと外待合の腰掛があり、その目線の先に茶室があった。

能舞台の庭もよく手入れしてあった。ここの庭もそうだ。使われているのだろう。

茶室の先を降りるとそこは私の部屋から見えた場所だった。二階になる。こちらの施設はどうみても洋館なのだ。

フロントに行き、このミスマッチについて訊ねた。
能舞台は秀吉の豊公三百年祭の時(明治時代)に建てられたものでそれが廻り回ってここに。個人所有だったけど、売りに出された時に地続きなので購入し、茶室も能舞台も使われているということだった。あのガラスも三百年祭以後に入れられたという。そういうことかと納得する。

せっかく早起きしたので周囲の散歩に出かけた。
曼殊院が近くて、その周囲は朝の散歩に来た人、カメラを担いでいる人が疎らにいるだけでまだ観光客がいない。

なかなかいい散歩道だった。

曼殊院の参道

曼殊院の前の神社から見えた景色

歩きながら、遠くを見れば、向こうの山が。。京都は山に囲まれているのだったと思う。

宿に帰って正面横から見るとまさに裏は山。そして洋館。

急に冷え込んだおかげで思いがけない美しさに浸れてとても幸せな朝だった。

学生時代

今度の作品に使いたい糸がとんでもなく値段の高い糸だった。仕方なく他の糸を求めて京都に行ってきた。糸の表情が良いのが二種類、一綛づつ試織用に買って、ひさしぶりに大学まで足を運んだ。染織の先生方と近況報告など歓談して帰る途中でふと思い出して、大学の真ん前にあるMiwaに寄った。

ここは院の学生時代にみんなでランチを食べにきた店。スクーリングの度に必ず一度は寄る店だった。その仲間とは今でも年に一度のグループ展をしてる。
店に入ると夕食には少し早い時間だったので、誰もいなかった。

夕食としてはリーズナブルな値段。2650円でこれ!

まずは前菜。。お酒が欲しくなる品々。。で、ついノンアルコール、頼んでしまった。

お刺身も美味しかった。

これは自家製の豆腐三種。これはランチにも少しついてたな!と思い出した。

このキスの南蛮漬け、キュウリとオクラ、サヤエンドウ、レタスがいっぱい入って、その上に大根おろしとゴマ。これはとくに私好みでした! 家でもまねて作ってみよう。。。

メインの魚料理。焼き茄子も。。。雑穀ご飯と汁物。。
ここまで来ると私のお腹はいっぱいで食べられるかと。。でも食べちゃいましたが。
ぜんたいに野菜がたくさん食べられたのも良かった!

まだまだ、ここは洋菓子のお店!
でもあるのでデザートと飲み物がつくのです。
甘みを抑えたデザートでした。

そうそう学生時代にここのケーキをお土産に買って、授業が終わったら取りにきますとお願いしたのに忘れて新幹線に乗って気づいたことがあったな。Miwaさんがその日の分はお店で引き取ってくださって、次のスクーリング時に新しいのをと。。

その話、覚えてらして。。
その頃、よく来ていた人たちが誰も来なくなって、違う人たちになっているそうです。
みんな卒業したんだねって。。。

「大学もしばらく来ないとずいぶん変わりましたね」とわたし。
「バス停の後ろにエレベーターができたそうですよ」とMiwaさん

バス停の和風屋根の付近がエレベーターのような。。。

外に出て、旬菜和食Miwaなんだと!

学生時代はこの階段を斜めに上がり下りしていたっけ。。。
その日も階段を上がり、降りました。エレベーターのことを知ってたら。。。

学生時代と言えば、う〜んと昔もあるけれど。
私の二度目の学生時代はまだこの階段がなかった頃に始まったのでした。12年前、懐かしいです。

日常を離れて

野村別邸「碧雲荘」(非公開)を見学できる機会があって行って来ました。写真は撮ることができないので、ホームページを見てください。

京都の野村美術館の隣にある広大な敷地に建ってます。京都にはこうした屋敷や別荘が多いです。北白川通りに行くバスに乗っているといくつかの屋敷を見かけます。高い塀に囲まれてバスのように高い場所に席があっても中を見ることはできません。

碧雲荘は想像を超えるスケールの庭といくつかの茶室、特別なお客様を迎える大書院、能舞台などがありました。庭は東山を借景に基本的に赤松と椛の樹木構成で足下に草花などは植えられていないです。桜の木が二本という感じです。茶室の庭であるからだと言われました。

当時は珍しい芝生が植えられたり、池の周りの石の使い方も当時(昭和3年完成)としては大変、斬新だったそうです。待月軒という満月が東山から昇るのを真正面から見られる場所からだと右手に舟茶室がある。そこからは舟には見えなかったのですが庭を歩いて、その場所に行くとたしかに館舟でした。

この舟でお茶をいただくなんて庶民の私にはあり得ない話ですが、風流ですね。私はどうもドイツのリンダーホーフ城にルートヴィヒ二世が造らせた洞窟に浮かぶ舟を想い浮かべてしまいました。そこは妖しい場所でお茶とはとてもとてもほど遠いのですが。。

それはさておき、どの建物も素晴らしい。大書院もとにかく広くて高い。床も、襖絵も欄間も鮮やかに描かれ、手作りのガラス戸は実に大きい。手作りだから波打って見える。開けると庭が。。。広々と。そして随所にいろんな工夫がなされ、見る人を楽しませる庭作りである。

琵琶湖疎水を滝をイメージして引き込んでいます。疎水を知る人は京都市内を流れる水音と水量が如何に大きく多いか、ご存知だと思います。その水が庭の池の水となり、そのまま外の水路に流れていく。こうした水の使い方は他の屋敷の庭にもありますが、ここはダイナミックです。

正門の手前にあるもみじが真っ赤に紅葉してました。今年の紅葉はまだまだ、他のもみじが色づくとどんなに美しいかと思いました。

しっかりと一時間半、邸内を案内してもらいました。正門の潜り戸から出ると秋の京都、南禅寺界隈、金曜日なのに観光客が途切れることなく往来していました。

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