気ままな日記を中心にこのブログ書いてます。
織りは最近、ちょっとお休みしてます。
この4年、オセアニアの国に行くことが多くなって、そんな国での体験のあれこれを・・・
もちろん日本のことも・・・
新着の日記
久々の散歩
この夏の暑さは異常だと思う。日中は暑過ぎて散歩なんてとんでもないと思ってる。川にマガモやカルガモを見に行く時は車で移動し、ちょっとだけ外に出て写真を撮っている。
18日は夕方になって、散歩道近くのスーパーの駐車場に車を停めて、久しぶりに散歩道を歩いた。
夕方でも誰もいない。振り返っても人の姿はなく・・・
こんなに雨が降らないのに稲は実っているのに感心して・・
雑草の勢いにも・・元の木は何?・・すっかり化けてしまっている
しばらく歩くとこんな看板が・・立てているのではなく、落ちていた。鮎なんて釣るのは無理じゃないかな?
こんなに水がないのだもの。釣りも網も期待できそうにない。カルガモですら1羽も見ないんだから。
帰る途中、特急はまかぜ号が姫路方面に向かっていく。そろそろ18時なんだ!車両の数がいつもの倍になっている。日曜日だしお盆の帰省客が乗っているんだろうな。乗客はいつもよりも多いような・・
この雲は雨が降るのかなって、期待したけど、結局、降らなかった。散歩した距離は2,6kmだった。
最近は・・
一日が早く過ぎて、かといって鳥見に行ったり散歩したりなどしてないのですが、家の中でなんとなく過ごしていて、気づいたら暗くなっているというなまけものとなっているような・・
三年寝太郎はこんなだったのかもしれないです。パリオリンピックが開催されて、時々テレビ観戦をするのですが、ずっと見ているわけでもなく、私の中では盛り上がらず・・・撮りためた興味ありそうな、いろんな分野の録画を見て過ごしている日もありです。
することがないので部屋の模様替えもして、大きな家具を移動したりして、なんとなく変化を楽しんでいたり、まあそんな自己満足しているのが現状かな。
最近、読んだ本が久々、面白くて、480ページほどの長作なんだけど、読み切るのに三日とかからなかった。『水車小屋のネネ』津村記久子著
お盆なんだけど、なんとなく過ぎていく。孫たちが南海トラフ臨時情報が出て、二日ほど来ていた。が、それぞれ予定があって、帰って行った。中学を卒業して高校は他の国に行く選択をした孫娘と、最近、俳優になりたいと思い始めた孫息子、ハラハラするけど、一度しかない人生だから、本人が考え実行することを見守るしかない。
私は今のところ、大きな病気もなく元気なのだから、ダラダラした日々を過ごしてる場合じゃない、残された時間はあるようでないのかも。そろそろ落ちた体力を鍛え直さないと思っている!!
というのが私の現状です。
この頃は
昨年から織ではなく、絵を描くことにハマってまして・・・
京都芸術大学の芸術学舎で、自由に描くことの楽しさや難しさに四苦八苦してます。
他のメンバーはずいぶん前からの参加ですが、私は新人なので担当の先生はしっかりと見てくださるので、自信のないままになんとか描いてます。上の絵は先生の一筆が加わって花が生きてきたという・・
春の講義が終わった後、自分の顔を100枚描くようにと課題を私に出されたので、毎日、描いてますが、鏡を見るたびに老いからは逃れられないと言われているようでキビシイですが。。。
講義の中でしっかりきっちりデッサンしないで感じたものを描こうと言われます。これって、なかなか難しい!です。
ご無沙汰しました
いつのまにか、6月が終わろうとしています。あれこれと多忙でブログが更新できなくて。。まあまあ元気で過ごしてました。
川に鳥見に行くのは今も変わらないですが、カモの姿が非常に少なくなりました。カルガモの数も最も多かった時の10%にも満たない数羽になってしまいました。雨で川が少し増水した時に珍しく集まってました。これがここ付近の全員なのかもしれません。
それでもここよりも下流で子育てしているのを発見、他にも一か所、でもその生存率は1グループに2羽と3羽です。
↑これは5月31日に撮りました。この頃は4羽だったのですが・・
マガモは6月6日、雨で川が少し増水した時に珍しく集まってました。他に4羽、これが全員なのかもしれません。
その後の雨の後から、マガモは見かけなくなり、今はカルガモ集団と一緒にいる1羽のみになりました。↓ 最初の写真の右の角っこにも写っています。
最近になって、オシドリが居るのを見つけました。3羽のオスと1羽のメスです。前に居た場所の近くにいるので、同じ仲間ではないかと思うのですが・・
5月29日の大雨で増水した川を見て、この流域の主のような鯉は以来、見ないし、どうしただろうと思ってました。6月17日、何事もなかったように泳いでいるのを確認、強いですね〜
久しぶりに故郷に
いつものように和田山駅ではこの機関庫を撮る。周りに咲く黄色い花が風に揺られてて爽やかでした。
福知山から乗り換えた特急はちょっとオシャレな車両で木を使った内装になってます。
京都から新幹線で名古屋まで行った後、故郷の美濃大田まではいつもはJRで特急『ひだ号』で行くか、名鉄を使って鵜沼でJRに乗り換えるルートを使うのですが、今回はJRで中央本線で多治見経由、太多線で行くことにしました。
さて、中央本線の高蔵寺を過ぎると車窓の景色はそれまでは住宅地が続いていたのに突然、山間に入ってしまいました。窓の外は渓谷、その上、乗客もほとんど乗ってない状態になり、定光寺駅で前の車両の一人が降りると誰もいない状況に・・・
古虎渓という駅が次、その名前は遠い昔の記憶がふと蘇る・・・子どもの頃、遠足かなあ行ったような・・景勝地
そしてトンネルを抜けると多治見の町が・・何事もなかったように。それは私にとっては驚きでした。多治見で降りると、もっと前の車両に乗ってた人、学校帰りの生徒達が見えて一人じゃなかったって、妙にホッとしました。
その後、上の写真の見える左手の電車、太多線で美濃大田に・・この電車に乗るのも初めてかもしれません。この電車は木曽川をを渡ります。
上の写真は渡った時のダム湖ですが、反対側がダム、でダムを撮ろうとしたら一瞬で間に合わなかったです、そのダムの下で父が魚を釣ってたので写したかったのですが・・・ダム湖の先に伯母が居たホームがありました。ここは伯母を思う懐かしい場所です。
さて、美濃大田駅に着きました。その後、父母の墓参りを済ませて、思い出のなかで最も懐かしい木曽川に向かいました。
今は河原に行くには10m以上の堤防(写真は堤防から)があるので、その階段を登り降りするのをやめて、眺めるだけ・・大きな川だとつくづく思います。
子どもの頃は学校からこの河原を遊びながら、帰ってきたものです。家まで2km以上かな?家に着くのは夕方だったような・・
実家のあった場所は駐車場になってました。何も思い出が感じられないところになっていて、ちょっと寂しい!
名古屋まではひだ号、車窓からの景色は子ども時代や中学生の頃に通ったり遊んだ田んぼです。今でもまだ田が残っているんだと・・美濃加茂市は駅北が今では規模の大きな住宅地に変化していて、その変わり様は昔を思い出せないほどになっていて、浦島太郎状態・・ですが。。この景色はそれほど大きく変わってません。
高校時代に車窓から見ていた景色も、車窓から日本ライン下りの難所が少し見えてます。
・・・という今回の故郷紀行でした。
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