新しいノートから
ヤッホー!
ノートパソコンを新しくしました!
ついでにpocketWifiも。これでブログもサクサクといけたらいいなと思ってます。
このところ心機一転することが多々あって、新しくしたもの、始めたものが多いです。まあまあ、人生の次のステップに入ったのかもしれないです。
来年度には大きなイベントが控えているので来年になるとそれに集中しないといけない。今年中に始めたことに慣れ、日々の暮らしに根付かせていきたいです。
すごく抽象的な話になりました。
今、いるところは若い時代に住んでいたところです。その頃にはなかったかな?裏の木が色づきはじめました。今年の紅葉は遅いように思います。先日、京都でもそんな話題になりました。今頃、見頃かもしれないです。
中田島砂丘
浜松に来てから、3年は過ぎたと思うのだけど、一度も浜松の海に行ってないので、昨日の暖かさに海に向かって自転車で出かけました。とにかく南下すれば辿り着くということで。。。道路標識に中田島砂丘と書いてある。そこに行こう!
最初は意気込んで出かけたけど、主要道路を走るので自転車は歩道やら狭い自転車専用道を走らないと行けない。アップダウンが激しくて、お尻が痛いのなんのって。。。
その上、風がどんどん強くなってきた。「浜松まつり会館」の手前の橋では吹き飛ばされそうになる。おお!なんということ!
さて砂丘の前に着きました。
自転車を松の木に預けて、早速、砂丘に。
海は見えないではないか。まだ先なんだと人が行く方向に進む。
いいね〜。
突然、姿を見せた海は。。
近づくと。。
後ろに引いてしまう。
人を寄せ付けない、近寄りがたい風景でした。
波の音、風の声、砂が走る。砂が当たると痛い!怖くて身が引ける。山陰海岸の海も冬は荒れるけど、こんなに間近で対すると声にならない恐怖を感じました。
近くにゴミの容器があった。これはどこから流れてきたのだろう?但馬の海岸には他の国からの漂流物が大小様々、流れ着くが、ここには生活を感じられるものはこれだけだった。風が強くて遠くに飛んでいってしまうのかなあ?
帰り道、後ろをふりかえると陽が沈みはじめてました。
日常を離れて
野村別邸「碧雲荘」(非公開)を見学できる機会があって行って来ました。写真は撮ることができないので、ホームページを見てください。
京都の野村美術館の隣にある広大な敷地に建ってます。京都にはこうした屋敷や別荘が多いです。北白川通りに行くバスに乗っているといくつかの屋敷を見かけます。高い塀に囲まれてバスのように高い場所に席があっても中を見ることはできません。
碧雲荘は想像を超えるスケールの庭といくつかの茶室、特別なお客様を迎える大書院、能舞台などがありました。庭は東山を借景に基本的に赤松と椛の樹木構成で足下に草花などは植えられていないです。桜の木が二本という感じです。茶室の庭であるからだと言われました。
当時は珍しい芝生が植えられたり、池の周りの石の使い方も当時(昭和3年完成)としては大変、斬新だったそうです。待月軒という満月が東山から昇るのを真正面から見られる場所からだと右手に舟茶室がある。そこからは舟には見えなかったのですが庭を歩いて、その場所に行くとたしかに館舟でした。
この舟でお茶をいただくなんて庶民の私にはあり得ない話ですが、風流ですね。私はどうもドイツのリンダーホーフ城にルートヴィヒ二世が造らせた洞窟に浮かぶ舟を想い浮かべてしまいました。そこは妖しい場所でお茶とはとてもとてもほど遠いのですが。。
それはさておき、どの建物も素晴らしい。大書院もとにかく広くて高い。床も、襖絵も欄間も鮮やかに描かれ、手作りのガラス戸は実に大きい。手作りだから波打って見える。開けると庭が。。。広々と。そして随所にいろんな工夫がなされ、見る人を楽しませる庭作りである。
琵琶湖疎水を滝をイメージして引き込んでいます。疎水を知る人は京都市内を流れる水音と水量が如何に大きく多いか、ご存知だと思います。その水が庭の池の水となり、そのまま外の水路に流れていく。こうした水の使い方は他の屋敷の庭にもありますが、ここはダイナミックです。
正門の手前にあるもみじが真っ赤に紅葉してました。今年の紅葉はまだまだ、他のもみじが色づくとどんなに美しいかと思いました。
しっかりと一時間半、邸内を案内してもらいました。正門の潜り戸から出ると秋の京都、南禅寺界隈、金曜日なのに観光客が途切れることなく往来していました。
母さんは
この3週間、腰痛で車を運転するのをできるだけ控えていると、なかなか母のところへ行けなくて。。。行けないまま、いつのまにか日が経ってしまった。悲しい顔をしているかなあって、気にしてましたが、オットどっこい!母はすっかり元気になったらしい。
ケアセンターがとても気に入ってずっとこのまま居ると決めたらしい。楽しく暮らしていると弟から電話があった。ふふっ、彼女の切り替えの早さを忘れていました。そうよ!断ち切りが早いというか、いつも見事だったっけ。
変わらんなあとほっとしました。
自分用のテレビが入り、好きな野球観戦ができれば、何も要らないんだろうと思う。そう言っているらしい。物にも人にも執着しない彼女らしい。まあまあ良かった。
親子なので似ていることもあるけど。。私の方が長く悩む。。。^^;
スウェーデンの切り絵作家
先日、スウェーデン大使館で「アグネータ・フロックの世界」〜ゆめ×織×物語〜を開催しているというスウェーデン在住の方からのツイートを見つけて行ってきました。
つづれ織りの作品と切り絵が展示してありました。アグネータさんも会場におられて、次々と来場する人たちと作品の説明や作品の前での記念撮影をされてました。彼女の著書やDVDはその日のうちに着くということで4時間ほど、大使館や近くで食事したりして、すっかり常連のようになってしまいました。お世話になりました。大使館のハヤミさん。
アグネータさんの切り絵は色がとても綺麗です。はさみで白い紙をフリーハンドで切り取っていく。バラバラにならないように繋がった切り方です。切り取った切り絵に顔彩で色をつけていくという手法です。
描かれているのは自然界の生物、植物、童話、民話などに登場する人やもの、楽器、いろいろ夢のあるモチーフを楽しく暖かく美しく、それらが動きをともなって、まるで歌うように、踊るように、音楽も聴こえてくるような作品群でした。お会いしたアグネータさんのお人柄がそのまま伝わってきます。
私と友人もアグネータさんとの記念写真を撮らせていただきました。片言の英語での話しかできなくて残念でしたが良い時間を過ごしました。私にとっては刺激的な素晴らしい出会いでした。
川越に移動して、28日まで開催されてます。お勧めします。
なんということ!
この二週間、腰痛とそれに伴って起きた大臀筋の激痛で薬の服用を余儀なくされ、以前から副作用があって合わない痛み止めの薬を飲み続けて、痛みがなんとか楽になったのですが、昨日、一ヶ月に一度の血液検査の結果、肝機能の値が病気の時に戻っていると先生に言われてしまいました。
痛み止めの薬、いつも顔が腫れるとか、気持ちが悪くなるとか、副作用が出ていたのですが、痛みに耐えられなくて、病院からの処方だからと飲んでました。
その薬はよく理解できてないですが、肝臓を通して痛みを軽減させるんだそうです。だいたい私は薬の副作用の多い身体で、他の薬でも急性肝炎を引き起こしたことがあります。
そうなると、これからは痛み止めは座薬しか使えないと薬剤師さんに言われました。けど、息子が調べてくれて、それもダメなんだそうです。
まあ今回の症状は薬をやめれば、値は下がるので良いのですが、これからは腰痛を起こさないようにするしかないです。パソコンに向かう姿勢とか、休まないでずっと座り続けることとか、意外とそんなところに腰を痛める要因もありそうです。
早寝早起きかなあ?できなさそうだけど。。。
検査結果ではあまり凹まないけど。激痛になるまで自分の身体を痛みつけてはいけないと反省中です。
捨てる話
この頃、家の中の整理をしている。兵庫県の但馬地方から浜松に移って、浜松にいることが長くなって3年、こちらでの役目も終わって、そろそろ但馬に帰ろうと思っています。
たまたま千代里さんの『捨てれば入る福ふくそうじ』と近藤麻理恵さんの『人生がときめく片付けの魔法』を読み、そうか!掃除と捨てる作業はシンプル人生のはじまりかと。ときめきをポイントにする捨て方!でした。
が、まだまだ人生という道の先が続いている若いお二人とは少し違う。ある日、突然、その道の先が見え、限りある人生を実感した、その瞬間からの捨てる作業はもっと潔くないと。
長く生きたら、その分だけ、ものも増えます。けど、人生の最期は生まれた時と同じで何も持たずにこの世から消えていくわけです。それまでに自分のものは自分でお別れしないといけない。何も持たずに生まれてきたのだから、真っ白で良いと。
私の母は93歳になります。今は自室があるホームのケアセンターに居ます。自分の身の回りのことはできますが、夜中のトイレに行く時にぼおっとしていて、転んだりするので自室で一人で暮らすことはできないのです。けど、センターに居ると笑顔が暗い、時々、自分の部屋に帰ると別人のようにいい笑い顔になります。自分の居所って、過去に繋がる場であり、ほっとして存在を実感する場なんでしょうね。
良い笑顔でしょう。このままで居てほしいですが。。。母に内緒で公開!(後悔するかなあ?)
自分の家で家族が最期まで看取ってくれる人はそのまま幸せでしょう。けど、最期は病室だったり、施設だったりすることが普通なのかも。そんな時にボケてしまうと言いますね。
だからこそ自分のものや場に固執しないでお別れする必要があるとつくづく思います。捨てるということは心に残すことだと思ってます。その心に残したものも昇華させないと。。。真っ白になれたら、どこでも笑い顔でいられるように思うのです。
そんな終着点に向かって、捨てる作業してます。カチカチとこだわっているわけではなくて、楽しみながらですよ。なかなか捗らないけど。。。溜め込んでいたから。
それはけっして後ろ向きに生きることではなくて、どんどん前に進み、いろいろ吸収し人生を謳歌しながらです。ときめきながら、捨てていくんです!!
川島テキスタイルスクールで
新幹線に乗っています。京都〜浜松
川島テキスタイルスクールに行って、英語で書いてあって織り方が解らない技法を教えてもらうつもりでした。
どうしたことか?お尻の筋肉痛で立ちあがることもままならなくなってしまったのです。身体が資本なので諦めて帰ることにしました。
このところ、どうも身体と気持ちがチグハグしていて上手くバランス取れない。
病後の立ち上がりを焦っているのかもしれない。10月は充分、休養しようと決めた。
川島テキスタイルスクールは大学の三年目にちょっと立ち止まって、デザインのことなどを勉強しようと当時「ウイークエンドスクール」という講座を受けることにしたのが最初の受講でした。
講師の石崎朝子先生、故磯邉晴美先生に初めてお会いし、そのテキスタイルに対する真摯な姿勢に感動したことを思い出します。この時の内容は☆デザインの発想☆色彩☆組織素材☆インテリア・服飾でした。
最初が「デザインの発想」でした。大学で作品を作る=何かを表現するということの難しさで悩んでいた時期でした。行き詰まって川島テキスタイルに行ったとも言えるのですが。。。ドローイングから入って、描いたものを切り取る。新鮮でした。その他の講義内容も楽しく、風景をスケッチすることに抵抗がなくなりました。
それ以来、時々、川島テキスタイルスクールに通うようになりました。染色は堀勝先生に、綴れは中崎明美先生に指導していただきました。今も時々、教えていただいてます。石崎先生は退職され、磯邉先生は亡くなられてしまいました。寂しくなりましたが。
最近のコメント