母と
ケアセンターの食堂で、お茶を飲みながら。
母が「ここにいるとね。みんながどんどん歳をとっていくのがわかるのよ」と言う。
それって、どういうことなんだろう?
少しすると他の方がケアの方と車椅子で、お人形と一緒に隣のテーブルに。人形は前の席に。
お茶とお菓子をいただいておられる。そして何度も立ち上がられて前に向かっておじぎをされている。
食堂のボードに誰かの書がいくつか張ってあった。その話題から、
母が「父は字が下手な人でね。ある時から、近くの書の先生に習い始めたの。そのうちにちゃんと見られる字になって、襖に書くまでになった」と。しばらく間をおいて「母はそういう習い事をすることがなかった」と。。。
「でも、おばあちゃんは縫い物をしていたよね」と私。
母が「洗い張りって、知ってる?」「知ってる」
「母は私たちの使った着物が汚れたり小さくなると、全部、ほどいて洗って伸子ばりで張って乾かして、もう一度、丈を直して縫い直していたのよ」
そうなんだ!そういう時代があったのだ。
私の母は93才、祖母のその話は80年前の話であろう。とても趣味の習い事なんて時代ではなかったような。今とはずいぶん違う。。。
祖父は田舎の医者だったけど、その昔、盆暮れにしか治療費を払ってもらえず、祖母が縫い物をして家計を支えたと聞いている。私が覚えている祖母はそういう時を超えて、のんびりとひなが一日、あれこれ縫い物をしていた。
母が「私が小さい頃のこと。私がいなくなったことがあったそうで、みんなであちこち探しても見つからず。。兄が塀の上にのって、私がひとりで帰ってくるのを見つけた。」と急に言う。「そうなの。覚えているの?」遠くを見つめるように「その頃の景色を覚えている。」と母は言う。描くことができれば、それは鮮明に描けそうな雰囲気が伝わってきた。
その後、最近のことを少し話題にする。
隣の方は相変わらず、立ち上がって、おじぎをされている。
と、母との会話が途切れて。。。
母が「お母さんは着物をほどいて、洗い張りをして。。。」あら、また元に戻った。
母は子どもの頃に戻っていっている。祖父と祖母の子どもだった頃に。
まるでそれを察したように、母が「どんどん子どもに近くなっていくのよね」って。
これが歳をとるってこと。なのかな。
ふたりで
この前の日曜日のこと、三才になる孫と電車に乗りに行きました。
最近、電車の名前を覚えて、電車の絵本を読んだり見たり、時には絵本をまねて、おもちゃの電車で再現したりするのを楽しむようになりました。でも少し攻撃的かな?脱線している。
これは切り替えが必要かもしれない。ということで本物に会いに行くことにしました。
お弁当を作って、二人でお出かけです。まずはバスに乗って。
次は東海道線に。窓からは電車や新幹線がすれ違います。
窓の外も飽きてきて、こんどは車掌さんの動きが気になります。でも小さな彼には車掌さんが何をしているのかは分からないのです。ドアの開閉もアナウンスも車掌さんとはつながらないのです。そういうことなんだと私の方が納得でした。
だんだんつまらなくなって、停まる度に降りようと言う。新幹線が停まる駅で降りて、新幹線のホームに行く。停車した新幹線、見つめる目が違う。。
名古屋駅。次は特急を見よう!「しなの」「セントラルライナー」キョロキョロ。
さーて、そろそろ名鉄のパノラマカーに乗って帰ろうか。昔は赤い車両7000系だったけど、今は素敵な車両2300系、けどミュージックホーンは同じなんだ。乗ってしばらく、疲れてダウン!じつは私もです。
やはり格好いいね。彼がずっとミュースカイと言っていたような・・・
それから東海道線で帰ってきました。
彼の背中はなんとなく満足感が。。少しお兄ちゃんになったかな。いい日だった。
ある蕎麦屋さんの話
胃炎で少し胃が良くないので、外でお昼に何を食べたら良いかとウロウロ、そういえば、蕎麦屋さんがあった。美味しい蕎麦を食べさせてくれるけど、うどんがあればなあと蕎麦屋に!
よーし!うどんもある。。
時間はすでに1時半、お店にはお客さんがひとりだけだった。このお店、中に入ると壁やカウンター下には手書きの張り紙が多い。私の座った席の前には
本日はご来店いただきありがとうございます。
当店では機械類はいっさい使っておりません。
蕎麦本来の風味、うどんの旨味を損なわぬよう気をつけております。
と長い説明書が書かれてある。
隣の席の前にもメニューとともになにやら。。。
「何にしようか?胃炎だし、胃に優しいのがいいかなあ」と言うと。
「そういう時はお粥でしょう。うちのうどんは腰があって、どうかなあ」と言われてしまったが、月見うどんを頼んだ。まず出されたそば湯、ユズの香りがなんとも嬉しい。
ふと目にとまる張り紙が。
えっ!やめちゃうの!
そこへ月見うどんができあがり。うどん、柔らかめになっている。菜の花、アスパラ、サヤエンドウなど季節の野菜がしっかりとそして卵と海苔、いやいや美味しそうな。。。ここで写真をというところですが、ボケてしまって。。。美味しかったです。今でも思い出すだし汁の味。。。口が覚えている
蕎麦屋のご主人に「お店、やめられるのですか?」と聞くと
「30年間、やりたいことを全てやってきたから、もう仕事をしないでゆっくりしたい」
私「ずいぶん拘られてますね。この書かれたものを読むと素材、味にもとことん拘られて。。。」
「そりゃ全国から取り寄せてね。肴も。特にお酒は幻の酒と言われる名酒が多いよ。」と
私にはわからないですが、お酒好きには確かに手に入らないお酒が多いということらしいです。
私は蕎麦が美味しいのでやめてもらいたくないのですが。。。
幻のお酒に拘るとか、肴も、素材、出汁とか、かなり気をつかってこられると凄くエネルギーを消耗するのかもと思ってしまいました。
このお店「傘亭」は高田馬場駅から早稲田通りを西に戸塚公園入り口の信号、バス停だと駅から二つ目近くにあります。蕎麦好き、お酒好きな方、お勧めですよ。有名らしいけど。。ネット検索できます。
冬の中田島砂丘
最近、自転車に乗ると、以前よりも軽快に走っているように思える。今日(昨日)は風もなく、暖かかった。午後、駅の方に出かけた。風をきって走るのがなんとも心地よい。用事をすませたら、少し長い距離を走ってみたいと思った。
すでに15時をまわってしまったけど、やはり走ろう!
この感覚は体育会系かも、なんてつぶやきながら、中田島砂丘を目指す。この道は車が引っきりなしに通るから、避けたいのだが。。若者が追い越して行く。急がず、ゆっくりと行こうと自分に言い聞かせて。
前の時は今日に比べると身体が重かった。あの時はやはり病気が完治してなかったのだと今、思う。こんなに軽くこぐことができる、と思うと自然に顔がほころんでくる。鼻歌を歌いたい気分だ!
所要時間20分?砂丘の入り口に到着。誰もいない!自転車を止めて、海の方を見るが、人の気配なし。とにかく海に向かって歩こう。いやに静か!うーん?
砂丘の入り口から海までは5分では行けない。さすがに自転車を20分ほど、こぎ続けた後なので砂丘に足をとられる。誰もいないのはコワいけど、ここまで来たら、海を見ないと帰れないという気持ちになっている。
着いた!静かな波だ。それにしても誰もいない。ここでパニック状態。なんて臆病なわたし。
すぐに引き返す。。。
戻ると犬の散歩の人が砂丘に入ってこられる。そしてすぐ後から2人、海に向かって進んでいく。よし!ちょっと休んで私も、もう一度行ってみよう。
今度は不安もなく、周りを写す余裕がある。新しく作られた堰砂垣が美しい。
離れた海辺で人が波と遊んでいる。
このいくつもの足跡。
で、足下を見ると。。。
風化していない新しい靴跡が。
これはさっきの散歩中の犬かしら?
足跡が風化されないで。。ということは今日、意外と多くの人が訪れていたのでした。
で、今日の記念に。私の足跡はこれ!
そして目は足跡のない波紋を捉える、よく見ると!丸い石ばかり。
自然が織りなす造形!
波紋の中に石があることで生まれる微妙。
こころにくい自然の造形美!
海が運んできたものが白く風化して存在していたり、こんな場所なのに植物が根を張っていたりする。中田島砂丘にはまだまだ思いがけない発見がありそう。
時間を忘れてじっくりと浸った一時間でした。
そして一人よりも複数いる方が落ち着く一時間でもありました。
帰りは車がそんなに走らない道を見つけて、快適に飛ばしました。
自転車で走るのは楽しい!
いつもは夜更かしの私が早めに寝てしまいました。健康的だこと!
家を建てるということ
家を建てかえることにした。息子夫婦と暮らしはじめて3年半、そろそろ二世帯住宅にしようかということになった。年代の差、価値観の違いでお互いにストレスを感じるよりは、同じ敷地内に二家族が分かれて住むという選択をすることになった。
家を建てるということ。簡単ではない。もちろんお金も要る。できるだけシンプルでいいのだが、始めると持っていたものを捨てて良いのかという思いにかられる。消費社会に生きているしっぺ返しがもろにくる。贅沢な暮らしをしていたものだと思う。基本になる家そのものは新築だけど、家具などは今までのものを使うということにしているが、その選択が難しいのだ。
ずっと使ってきた家を二つに分けるのだから、今までよりも狭くなる。気に入って買ったものもばかりのはずだから、捨てることに抵抗がある。どうしても収まりきれない。今や捨てることも美徳のように言われる時代、よく考えるとやはり何か間違っているように思える。
消費社会にすっかりのせられて、ついつい買ったものが過剰にある暮らしなのだ。捨てることは当たり前になったけど、本当にそれで良いの?と思ってしまう。
便利な暮らし、過剰にある物、それに囲まれていたこと。今もいること。
そこをしっかりと自分に中で整理しないと実は家を建てることが前に進まないということに気づいた。
地震と原発事故のあと、原発をなくすために私は何ができるのか、考えた。まずは電力を湯水のように使う今までの暮らしを見つめ直すことに他ならない。具体的に言えば、食洗機が要るのか、便座は暖かい方が良いのか、床暖房が良いのかという。。。それって、豊かなのか??
消費することを抑える。暮らしそのものを今一度、見直す。
家を建てかえるということ。それはとても大変な作業であり、自分の暮らし方、生き方を問い直す重要な機会を与えられたのだと思い、なかなか前に進まない。
カウンセラー?
子どもと共にいること。
私は遠い昔、保育の現場で働いていた頃、同僚から、あなたは「何も構えず、こどもに入っていけて良いわね」と言われたことがあります。たしかに初めて会う子どもを受け入れる時にどう受け入れようとか、など考えたことがなかった。
何の抵抗もなく子どもと共にあるから。いつだって子どもの心に触れることは難しいことではなかった。それに子どもの遊びの発展に付き合うのは楽しかったのです。若かったから、全身で臨んでました。
それから時が過ぎ去って、自分の子どもも成長したある日、そんな話を友人にした。そうしたら、その友人が言うには子ども好きのはずなのに私が他の子どもがいても全く興味を示さないし、一緒に遊ばないのはどうして?と。子どもが好きではないのではと。
私は子どもと自分が遊ぶことを目的に子どもに接していないのです。保育者は子どもの全てを受け入れる立場にあって、その間、その人の人生と向き合っています。遊びは子どもの成長にとって、とても重要です。遊びが全てなのかもしれません。遊びをとおして、自発性、積極性、集中力、探究心、社会性などを身につけていくのです。それはこちらのペースで行われるものではなく、子どもが決めていくものなのです。それを受け入れ、見守り育てるのが保育者の立場なのです。
だから自分からは行動しないし、遊ばせることもないのです。求められれば、自然に入り込むことができる体制は常にあるのですが。必要がないところでは何もしないのです。それは常に変わらない私の姿勢です。
自分の孫にも同じです。可愛いから、いろいろ遊具も揃えていますが、遊んであげることはしません。でも孫は私のところに来るのが好きで、特に少し精神的に不安定になるとやってきます。しばらくいるとすっかり笑顔になって帰っていきます。特に何をしているわけではないけど。。
そういった姿勢からか、なぜかわからないけど、私は不安な人の心に抵抗なく入り込んでしまうことがあります。そして、いつのまにかカウンセラーになっている自分を発見する時があります。それを長い間、すっかり忘れてました。つい最近、会った人の心に入って、そうなっている自分に気づいて思い出したのです。
本来、もっている自分の性格?を再確認しました。
カウンセラー!?
でも私はその人と一緒に心を動かすので心の消耗が激しく仕事にしたら向いてないのです。
孫が求めた時に受け入れる、おばあちゃんカウンセラーが適しているのかもしれません。
親友
ずいぶん長い間、ゆっくりと話すことがなかった友達。
大学に入って、最初の出会いはもう覚えていないけど、どういうわけか、とても気があって、いつも一緒だった。青春時代の多感な時期、話すことがいっぱいあって、毎日、出会っていても尽きることがなかった。読んでいる本の話、好きな詩集のこと、恋の話などなど、声をだして話すとまずい授業中には筆談したりしていた。
何が原因だったか覚えていないけど、喧嘩したことがあって、授業中、違う場所に座る一週間があった。他の友人達がヤキモキして気にしたほど、仲が良かった。そんなこともすっかり忘れていた。遠くに離れてしまうと会う機会が減って何年もお互いの空白の時代ができてしまった。
久しぶりに会って食事をしながら、最近のお互いの話をした。
同級会などで同級生に会うと昔はこんなことがあったとか、その頃はどう思っていたとか、今は何をしているといった表面的な話で終わることが多いし、次にまた会おうと別れても次はないことが多い。
親友というのは何年も会ってなくても、会うとお互いの琴線に触れる話にいつのまにか入り込んでしまうらしい。あの青春の多感な日々を共にしたからなのか、それとも同じ波長のせいなのか。彼女の話は面白かった。年を重ねてこそ、わかる人生の深み、ふっと肩の荷が降りるようないい話を聞いた。
若かった時代、彼女はバイオリンを弾いていた。今はチェロにすっかり嵌っていると前に会った時に聞いた。とてもナイーブな人だから、チェロの音に惹かれたのはなんとなく解る。「すごく落ち着くの」って。
彼女に会って、私自身、忘れていた何かを取り戻した気がする。最近、ふと我に返って自分をみつめていた、ちょうど良いタイミングでもあって。。。
彼女も楽しかったらしい。今度は彼女達夫婦と会う約束をした。私と彼女と彼は同じサークル仲間だった。(^-^)
親友って、いい!
あの日あの時…
落ち葉を踏む音。カサカサ!「ほら!カサカサって音がするでしょう。面白いね!」こんもりと積もった落ち葉がどこまでも広がる。息子に声をかけながら、じつは私が楽しんでいた遠い昔を思い出して、公園に行こうと思い立った。
すっかりビルばかりになった通りを歩いて、坂を下り、踏切を越えて、信号を渡る。昔と同じ道。公園の入り口を入ると整備された公園内、大きな道と小道がいくつかある。あの頃はこんな大きな道はなかった。高低差のある広い原っぱに近かったような気がする。
くるりと見回すと目に飛び込んできたのは林。樹々に包み込まれたような感覚を覚える。少し気分が落ち込んでいたのだが樹々のオーラに包まれて消えていくのを感じた。
道を登っていく。そこにはまた違う景色が現われた。
そしてもう少し進むと、かがんで写真を撮っている人がこの構図が良いと勧めてくれた。
進むごとに違う種類の樹々が現われる。
それにしても35年以上、こんなに木は太く大きくなるんだ!
あのカサカサという音のする場所はどうなっているんだろう?広葉樹の多い林のはず。
公園内はかなりの広さなので当時まだ2歳だった息子を連れて行くとその場所まで一時間はかかった。考えたら、その子も今はお父さん。大きくなったこと。
今、園内には自転車道もあって自転車も貸している。
自転車練習用に作られた場所もある。
そこを過ぎたところに。
落ち葉も、モグラの穴も、ありました。
昔に比べたら、少ない落ち葉です。あの頃は靴が入り込んでしまうような深さがあった。今はそんなことはなかったけど、この場所に間違いないのです。すっかり整備されて、遊歩道ができて、落ち葉を踏むようなこともない。落ち葉を抱えてバラまくこともないだろう。小道を自転車に乗った子供達が走り抜けていく。
遠い日に思いをよせて、なんだか、あの時代は良かったような気がしました。
そこを後にして進む。
まだまだ一周してないのです。ちょうど半分きたところですから。
くるりと公園の端を回っているので途中で公園の真ん中を写してみる。
といっても全てではなくて、ほんの一部ですが。
正面の入り口に近くなると2〜3人組の若者達が何組も、漫才かなあ、それとも舞台かなあ、大きな声で練習している。ほとんど男の子なのが不思議。
その近くには黄色い世界。
公園の正面付近は都会化していて、写真を撮る気にならず。。。ベンチにも芝生にも人が多い。忘年会?まさか?何人か集って楽しく賑やかなグループも。犬の散歩、ジョギングなどなど。人って群れるんですね〜。
これ!洋風な。。。
その場を過ぎると葉が落ちた樹々が。
「ここは紅葉が終わってるのね!」という会話が聞こえる。
この木は木を守る人々によって生き返った木だと説明があった。
上の写真の正面に写ってる小道を入ると最初の場所に戻った。所要時間2時間。
その道の途中で出会った人は「この構図、良いよ」と教えてくれた人だった。ニコニコと声をかけられのだが外国語でよく解らなかったのが残念。
代々木公園!
昔とは変わってしまったけど、散歩コースには良い!
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