ベガ

権太

なかなか太そうな名前だと思う。そして本当に太かった!
彼が我が家にやってきたのは1996年6月だった。生後二ヶ月を過ぎていた。

家の中にいて、時にはお風呂に飛び込んで出られなくなって、キャンキャンと!

まあ、こんな姿が。。。

そうこうするうちに夏が来て、9月、少し大きくなったところで家からベランダに移動させると寂しがって吠えたっけ。首輪をしている。

それからしばらくして、彼の生家に訓練のために半年、寄宿した。時々、会いに行くことになった。行くと母犬と一緒に吠えるのなんのって。。。犬小屋はかじられて、どんどん形がなくなっていくし。。。本当に訓練の成果があるんかなあ?と。
加古川の河川敷を散歩しながら、犬の調教師さんから私も指導されたっけ。

残念ながら、その頃の写真が全くないのです。
ある日、雷が落ちて、パソコン内のデーターがなくなってしまったから。

調教を終えて帰ってきた権太は散歩中、常に私の左を歩くようになった。
それでも調教師さんのようには完璧にいかなかったが。
私よりも先に行こうとする時「あとへ!」と声をかけると必ず、私の左側に下がり並行する。
とまれ!前に!よし!と声をかけると従うのだ。それだけで感動してしまったっけ。

3年後、1999年の写真があった。この時期の散歩はかなりの距離を歩いていた。
駅裏の円山川沿いに3kほど上流にさかのぼるコースだった。
当時は周りに誰もいないと綱を離して駆けまわれるようにしていた。時にそれで逃げまわって困った。調教したのに飼い主が良くない。。。
まあ、ずいぶん太めに成長してますね。

ラブラドールは水が好き。暑かったせいもあるけど、水に入り、そのまま座り込んでしまうこともありました。泳ぐことも好きでした。

上流の公園では犬の散歩仲間がいて、いつも同じメンバーが集まり犬談義してました。権太は小さな犬に負けてましたが、そのうち権太が雌犬を襲うようになって時間をずらしました。

車にゲージを乗っけて行く時、時に逃げるので、わざと車を移動すると追っかけて来るのですが、橋で方向を変えるとどこに行ったか、わからなくなってパニックになっていることがありました。ダメな犬だね〜って。

息子との散歩のあとで水を飲んでます。それにしても大きな舌ですね。

犬小屋スペースです。頑丈な扉、うしろの犬小屋の横の壁板は噛んでかなり壊れてます。
そうそう加古川の犬小屋は完全に形がなくなりました。
この小屋もそのうち右側の壁もなくなり、広い出入口になりました。

車にゲージを乗っけてましたから、かなり広範囲に出かけました。竹田城もその一つでした。時々、竹田駅の駐車場に止めて、勝賢寺の下から登るコースを行くことがありました。力の強い権太を先に行かせて、私はリードで引っ張られて楽でした。いい運動でした。私にも権太にも。

その道は台風で山崩れがおき、一時期、通行止めになってましたが、今はまた登れるようになってます。写真は今の状態です。

ある日、家から権太と散歩中にネコが走り抜け、それに権太が反応、私はリードを離さなかったためにアスファルトに顔をしこたまぶつけてしまいました。それ以来、散歩に出るのが怖くなってしまいました。もちろん、それでも散歩には行ってましたが。

2007年、10才過ぎて、まだ元気な頃の権太です。

この頃、我が家では事情があって、主人と私は浜松に暮らすことになりました。
私は和田山と浜松を行ったり来たりでした。
居ない時、権太は近所の人や医院のスタッフに面倒をみてもらいました。
そして彼もしばらく浜松に。
次に和田山に帰ってきたのは長男がクリニックを開業した2008年でした。
あちこち移動したストレスか、ずいぶん歳をとってしまいました。

2011年8月の写真です。権太15才、食欲があり、でも獣医さんに太り過ぎだと言われました。目は見えなくなり音も聴こえなく。。臭覚は働いてました。私が行くとすり寄って撫でてと頭を下げるのでした。

この冬を越してほしいと思ってました。なんとか越せたと思ったのですが。。

私は9日に和田山に帰り、翌3月10日、ドッグフードをあげるために小屋に行くと姿がなくて。いつもと空気が違いました。ごんちゃん!ごんちゃん!と声をかけながら。。何の反応もない。
権太は正面から見えない狭い場所に自分で毛布を敷いて横になり、静かに息を引き取ってました。冷たく固くなった権太に呆然としました。16才にもうすぐでした。

3月11日、近くの斎場で荼毘に付し、お骨をもらってきました。そしてこの一年、散歩もできないほど、弱っていたので、大好きだった散歩道三カ所を見せてあげたくて、一緒にまわりました。ここはあの1999年の写真の場所です。あの頃とはずいぶん違ってましたが、それでも懐かしい場でした。

そこで2時46分を迎えました。寒い日でした。

その日は私の部屋で一緒に過ごし、その次の日、彼の犬小屋があった場所に埋葬しました。

最期、独りで逝ったと思うと悲しくて悲しくて、泣いて暮らしておりました。多くの仲間に慰められて、やっと泣かずに暮らせるようになりました。こうして権太のことをここに記録しておこうと書いてます。けど、やはり最期を思いだすと涙が止まりません。

私が居て見送ることができたのは救いでした。晩年をみてくれた長男夫婦に感謝してます。

元気な頃の権太の写真を見ながら、今頃は向こうで駆けているね!って。。。
権太と暮らした日々、忘れない。楽しい時を過ごせて良かった!
ありがとう!権太!

母と

ケアセンターの食堂で、お茶を飲みながら。
母が「ここにいるとね。みんながどんどん歳をとっていくのがわかるのよ」と言う。
それって、どういうことなんだろう?

少しすると他の方がケアの方と車椅子で、お人形と一緒に隣のテーブルに。人形は前の席に。
お茶とお菓子をいただいておられる。そして何度も立ち上がられて前に向かっておじぎをされている。

食堂のボードに誰かの書がいくつか張ってあった。その話題から、
母が「父は字が下手な人でね。ある時から、近くの書の先生に習い始めたの。そのうちにちゃんと見られる字になって、襖に書くまでになった」と。しばらく間をおいて「母はそういう習い事をすることがなかった」と。。。

「でも、おばあちゃんは縫い物をしていたよね」と私。
母が「洗い張りって、知ってる?」「知ってる」
「母は私たちの使った着物が汚れたり小さくなると、全部、ほどいて洗って伸子ばりで張って乾かして、もう一度、丈を直して縫い直していたのよ」

そうなんだ!そういう時代があったのだ。
私の母は93才、祖母のその話は80年前の話であろう。とても趣味の習い事なんて時代ではなかったような。今とはずいぶん違う。。。

祖父は田舎の医者だったけど、その昔、盆暮れにしか治療費を払ってもらえず、祖母が縫い物をして家計を支えたと聞いている。私が覚えている祖母はそういう時を超えて、のんびりとひなが一日、あれこれ縫い物をしていた。

母が「私が小さい頃のこと。私がいなくなったことがあったそうで、みんなであちこち探しても見つからず。。兄が塀の上にのって、私がひとりで帰ってくるのを見つけた。」と急に言う。「そうなの。覚えているの?」遠くを見つめるように「その頃の景色を覚えている。」と母は言う。描くことができれば、それは鮮明に描けそうな雰囲気が伝わってきた。

その後、最近のことを少し話題にする。
隣の方は相変わらず、立ち上がって、おじぎをされている。

と、母との会話が途切れて。。。

母が「お母さんは着物をほどいて、洗い張りをして。。。」あら、また元に戻った。
母は子どもの頃に戻っていっている。祖父と祖母の子どもだった頃に。

まるでそれを察したように、母が「どんどん子どもに近くなっていくのよね」って。
これが歳をとるってこと。なのかな。

ふたりで

この前の日曜日のこと、三才になる孫と電車に乗りに行きました。

最近、電車の名前を覚えて、電車の絵本を読んだり見たり、時には絵本をまねて、おもちゃの電車で再現したりするのを楽しむようになりました。でも少し攻撃的かな?脱線している。

これは切り替えが必要かもしれない。ということで本物に会いに行くことにしました。

お弁当を作って、二人でお出かけです。まずはバスに乗って。

次は東海道線に。窓からは電車や新幹線がすれ違います。

窓の外も飽きてきて、こんどは車掌さんの動きが気になります。でも小さな彼には車掌さんが何をしているのかは分からないのです。ドアの開閉もアナウンスも車掌さんとはつながらないのです。そういうことなんだと私の方が納得でした。

だんだんつまらなくなって、停まる度に降りようと言う。新幹線が停まる駅で降りて、新幹線のホームに行く。停車した新幹線、見つめる目が違う。。

名古屋駅。次は特急を見よう!「しなの」「セントラルライナー」キョロキョロ。

さーて、そろそろ名鉄のパノラマカーに乗って帰ろうか。昔は赤い車両7000系だったけど、今は素敵な車両2300系、けどミュージックホーンは同じなんだ。乗ってしばらく、疲れてダウン!じつは私もです。

やはり格好いいね。彼がずっとミュースカイと言っていたような・・・

それから東海道線で帰ってきました。

彼の背中はなんとなく満足感が。。少しお兄ちゃんになったかな。いい日だった。

ある蕎麦屋さんの話

胃炎で少し胃が良くないので、外でお昼に何を食べたら良いかとウロウロ、そういえば、蕎麦屋さんがあった。美味しい蕎麦を食べさせてくれるけど、うどんがあればなあと蕎麦屋に!

よーし!うどんもある。。

時間はすでに1時半、お店にはお客さんがひとりだけだった。このお店、中に入ると壁やカウンター下には手書きの張り紙が多い。私の座った席の前には

本日はご来店いただきありがとうございます。
当店では機械類はいっさい使っておりません。
蕎麦本来の風味、うどんの旨味を損なわぬよう気をつけております。

と長い説明書が書かれてある。

隣の席の前にもメニューとともになにやら。。。

「何にしようか?胃炎だし、胃に優しいのがいいかなあ」と言うと。
「そういう時はお粥でしょう。うちのうどんは腰があって、どうかなあ」と言われてしまったが、月見うどんを頼んだ。まず出されたそば湯、ユズの香りがなんとも嬉しい。

ふと目にとまる張り紙が。

えっ!やめちゃうの!

そこへ月見うどんができあがり。うどん、柔らかめになっている。菜の花、アスパラ、サヤエンドウなど季節の野菜がしっかりとそして卵と海苔、いやいや美味しそうな。。。ここで写真をというところですが、ボケてしまって。。。美味しかったです。今でも思い出すだし汁の味。。。口が覚えている

蕎麦屋のご主人に「お店、やめられるのですか?」と聞くと
「30年間、やりたいことを全てやってきたから、もう仕事をしないでゆっくりしたい」
私「ずいぶん拘られてますね。この書かれたものを読むと素材、味にもとことん拘られて。。。」
「そりゃ全国から取り寄せてね。肴も。特にお酒は幻の酒と言われる名酒が多いよ。」と

私にはわからないですが、お酒好きには確かに手に入らないお酒が多いということらしいです。

私は蕎麦が美味しいのでやめてもらいたくないのですが。。。
幻のお酒に拘るとか、肴も、素材、出汁とか、かなり気をつかってこられると凄くエネルギーを消耗するのかもと思ってしまいました。

このお店「傘亭」は高田馬場駅から早稲田通りを西に戸塚公園入り口の信号、バス停だと駅から二つ目近くにあります。蕎麦好き、お酒好きな方、お勧めですよ。有名らしいけど。。ネット検索できます。

冬の中田島砂丘

最近、自転車に乗ると、以前よりも軽快に走っているように思える。今日(昨日)は風もなく、暖かかった。午後、駅の方に出かけた。風をきって走るのがなんとも心地よい。用事をすませたら、少し長い距離を走ってみたいと思った。

すでに15時をまわってしまったけど、やはり走ろう!
この感覚は体育会系かも、なんてつぶやきながら、中田島砂丘を目指す。この道は車が引っきりなしに通るから、避けたいのだが。。若者が追い越して行く。急がず、ゆっくりと行こうと自分に言い聞かせて。

前の時は今日に比べると身体が重かった。あの時はやはり病気が完治してなかったのだと今、思う。こんなに軽くこぐことができる、と思うと自然に顔がほころんでくる。鼻歌を歌いたい気分だ!

所要時間20分?砂丘の入り口に到着。誰もいない!自転車を止めて、海の方を見るが、人の気配なし。とにかく海に向かって歩こう。いやに静か!うーん?

砂丘の入り口から海までは5分では行けない。さすがに自転車を20分ほど、こぎ続けた後なので砂丘に足をとられる。誰もいないのはコワいけど、ここまで来たら、海を見ないと帰れないという気持ちになっている。

着いた!静かな波だ。それにしても誰もいない。ここでパニック状態。なんて臆病なわたし。
すぐに引き返す。。。

戻ると犬の散歩の人が砂丘に入ってこられる。そしてすぐ後から2人、海に向かって進んでいく。よし!ちょっと休んで私も、もう一度行ってみよう。

今度は不安もなく、周りを写す余裕がある。新しく作られた堰砂垣が美しい。

離れた海辺で人が波と遊んでいる。

このいくつもの足跡。
で、足下を見ると。。。

風化していない新しい靴跡が。

これはさっきの散歩中の犬かしら?
足跡が風化されないで。。ということは今日、意外と多くの人が訪れていたのでした。

で、今日の記念に。私の足跡はこれ!

そして目は足跡のない波紋を捉える、よく見ると!丸い石ばかり。

自然が織りなす造形!

波紋の中に石があることで生まれる微妙。

こころにくい自然の造形美!

海が運んできたものが白く風化して存在していたり、こんな場所なのに植物が根を張っていたりする。中田島砂丘にはまだまだ思いがけない発見がありそう。

時間を忘れてじっくりと浸った一時間でした。
そして一人よりも複数いる方が落ち着く一時間でもありました。

帰りは車がそんなに走らない道を見つけて、快適に飛ばしました。
自転車で走るのは楽しい!

いつもは夜更かしの私が早めに寝てしまいました。健康的だこと!

愛車で

今日の浜松は晴天!

こんな日は自転車で動くのが早くて楽しい。
ということで私の愛車。

乗る時の必需品。
左から、リュック、上から簡易ヘルメット、帽子、耳あて、その隣は手袋。

ヘルメットを装着するとあまりにもサイクリングのようで。。。
で、最近、帽子にかぶせるタイプにしています。
この自転車には買い物をした後で入れるカゴがついてないために、この大きめのリュックが役に立ちます。野菜や魚、パンなど、もろもろを背負っても自転車なので腰に負担がないのがなによりです。

ということでこんな風に走ってます。今朝はリュックなしでした。

毎日、進めていく

このところの小さな綴れ織り、少し気持ちダーク気味で織ってしまう。冬を意識しているせいもあるけど、その時の気持ちが色選びに影響してしまう。白と青と濃いグリーンと灰色と茶色が軸になる。それだけだと単調だったり寂しくなるので基調の色にできるだけ赤や黄色を入れるのだが。。。

そのために全体に締まりがなくなる。うーん!難しい。
気のままに織るのがマズイのか。

やはり気ままでも骨格は変えてはいけない。
と反省しながら、一つ一つ、作り上げていくしかないのだが。

さてさて次の作品に入るかな!

家を建てるということ

家を建てかえることにした。息子夫婦と暮らしはじめて3年半、そろそろ二世帯住宅にしようかということになった。年代の差、価値観の違いでお互いにストレスを感じるよりは、同じ敷地内に二家族が分かれて住むという選択をすることになった。

家を建てるということ。簡単ではない。もちろんお金も要る。できるだけシンプルでいいのだが、始めると持っていたものを捨てて良いのかという思いにかられる。消費社会に生きているしっぺ返しがもろにくる。贅沢な暮らしをしていたものだと思う。基本になる家そのものは新築だけど、家具などは今までのものを使うということにしているが、その選択が難しいのだ。

ずっと使ってきた家を二つに分けるのだから、今までよりも狭くなる。気に入って買ったものもばかりのはずだから、捨てることに抵抗がある。どうしても収まりきれない。今や捨てることも美徳のように言われる時代、よく考えるとやはり何か間違っているように思える。

消費社会にすっかりのせられて、ついつい買ったものが過剰にある暮らしなのだ。捨てることは当たり前になったけど、本当にそれで良いの?と思ってしまう。

便利な暮らし、過剰にある物、それに囲まれていたこと。今もいること。
そこをしっかりと自分に中で整理しないと実は家を建てることが前に進まないということに気づいた。

地震と原発事故のあと、原発をなくすために私は何ができるのか、考えた。まずは電力を湯水のように使う今までの暮らしを見つめ直すことに他ならない。具体的に言えば、食洗機が要るのか、便座は暖かい方が良いのか、床暖房が良いのかという。。。それって、豊かなのか??

消費することを抑える。暮らしそのものを今一度、見直す。
家を建てかえるということ。それはとても大変な作業であり、自分の暮らし方、生き方を問い直す重要な機会を与えられたのだと思い、なかなか前に進まない。

カウンセラー?

子どもと共にいること。

私は遠い昔、保育の現場で働いていた頃、同僚から、あなたは「何も構えず、こどもに入っていけて良いわね」と言われたことがあります。たしかに初めて会う子どもを受け入れる時にどう受け入れようとか、など考えたことがなかった。

何の抵抗もなく子どもと共にあるから。いつだって子どもの心に触れることは難しいことではなかった。それに子どもの遊びの発展に付き合うのは楽しかったのです。若かったから、全身で臨んでました。

それから時が過ぎ去って、自分の子どもも成長したある日、そんな話を友人にした。そうしたら、その友人が言うには子ども好きのはずなのに私が他の子どもがいても全く興味を示さないし、一緒に遊ばないのはどうして?と。子どもが好きではないのではと。

私は子どもと自分が遊ぶことを目的に子どもに接していないのです。保育者は子どもの全てを受け入れる立場にあって、その間、その人の人生と向き合っています。遊びは子どもの成長にとって、とても重要です。遊びが全てなのかもしれません。遊びをとおして、自発性、積極性、集中力、探究心、社会性などを身につけていくのです。それはこちらのペースで行われるものではなく、子どもが決めていくものなのです。それを受け入れ、見守り育てるのが保育者の立場なのです。

だから自分からは行動しないし、遊ばせることもないのです。求められれば、自然に入り込むことができる体制は常にあるのですが。必要がないところでは何もしないのです。それは常に変わらない私の姿勢です。

自分の孫にも同じです。可愛いから、いろいろ遊具も揃えていますが、遊んであげることはしません。でも孫は私のところに来るのが好きで、特に少し精神的に不安定になるとやってきます。しばらくいるとすっかり笑顔になって帰っていきます。特に何をしているわけではないけど。。

そういった姿勢からか、なぜかわからないけど、私は不安な人の心に抵抗なく入り込んでしまうことがあります。そして、いつのまにかカウンセラーになっている自分を発見する時があります。それを長い間、すっかり忘れてました。つい最近、会った人の心に入って、そうなっている自分に気づいて思い出したのです。

本来、もっている自分の性格?を再確認しました。

カウンセラー!?
でも私はその人と一緒に心を動かすので心の消耗が激しく仕事にしたら向いてないのです。
孫が求めた時に受け入れる、おばあちゃんカウンセラーが適しているのかもしれません。

親友

ずいぶん長い間、ゆっくりと話すことがなかった友達。

大学に入って、最初の出会いはもう覚えていないけど、どういうわけか、とても気があって、いつも一緒だった。青春時代の多感な時期、話すことがいっぱいあって、毎日、出会っていても尽きることがなかった。読んでいる本の話、好きな詩集のこと、恋の話などなど、声をだして話すとまずい授業中には筆談したりしていた。

何が原因だったか覚えていないけど、喧嘩したことがあって、授業中、違う場所に座る一週間があった。他の友人達がヤキモキして気にしたほど、仲が良かった。そんなこともすっかり忘れていた。遠くに離れてしまうと会う機会が減って何年もお互いの空白の時代ができてしまった。

久しぶりに会って食事をしながら、最近のお互いの話をした。

同級会などで同級生に会うと昔はこんなことがあったとか、その頃はどう思っていたとか、今は何をしているといった表面的な話で終わることが多いし、次にまた会おうと別れても次はないことが多い。

親友というのは何年も会ってなくても、会うとお互いの琴線に触れる話にいつのまにか入り込んでしまうらしい。あの青春の多感な日々を共にしたからなのか、それとも同じ波長のせいなのか。彼女の話は面白かった。年を重ねてこそ、わかる人生の深み、ふっと肩の荷が降りるようないい話を聞いた。

若かった時代、彼女はバイオリンを弾いていた。今はチェロにすっかり嵌っていると前に会った時に聞いた。とてもナイーブな人だから、チェロの音に惹かれたのはなんとなく解る。「すごく落ち着くの」って。

彼女に会って、私自身、忘れていた何かを取り戻した気がする。最近、ふと我に返って自分をみつめていた、ちょうど良いタイミングでもあって。。。

彼女も楽しかったらしい。今度は彼女達夫婦と会う約束をした。私と彼女と彼は同じサークル仲間だった。(^-^)

親友って、いい!

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