昔の話

今朝、妙な夢を見た。夢の中では自分の家だった。けど起きて思い出すと知らない場所だった。夢って不思議なものだけど。。。登場する人も知らない人だったり、知っていても全く夢の場につながらない人だったりする。

今朝の夢もそうだった。この10年に会った人とうんと昔からの人、全く知らない同士なのに夢の中ではお互いに知り合ってるように話をしている。

なにかな?私の深層心理のところが見えているのか?不安を感じてしまった。

つい最近、父の姉、伯母が他界した。それを知らなかった。ごくごく身内で見送ったらしい。伯母は私が子どもの頃から50年、父が亡くなった後も母と一緒に暮らしていた。我が家では母が父親役で伯母が母親役だった。ことある毎にまるで母のようにいろいろしてくれた。おふくろの味も伯母だった。子育てで大変な時期にも助けてくれた。

ちょうど今の私の年代だったのかなあ。伯母は隣に、母は後ろに。

伯母の料理はとても美味しかった。83才だったかな、もう料理を作るのはやめたい、母も仕事をやめると言い出して、それぞれが違う場所に移ってしまった。母も伯母も実の姉妹ではないけど、50年一緒に暮らすと最も近しい間柄になっていた。で、私の家にふたり一緒にやってきて長く逗留していた日々もあった。

ある年、伯母は足がむくんだ状態でやってきた。以来、心臓が悪くなり、我が家にも来れなくなり、なかなか会えなくなってしまった。母も伯母も90才を過ぎていた。ふたりは会えない時には電話で話していたがどちらも耳が遠くなって電話でも話すことができなくなり。。。そして、ふたりとも、車椅子の生活になってしまった。

伯母が亡くなったことを母に話すと、一瞬、驚きの表情をした。けど、そんなに悲しいようでもなく、受け入れている。同じ墓に入るつもりなのでまたそこで話をするらしい!母も生死の狭間を行ったり来たりして、今は元気だがいつどうなるか、わからない。だから受け止め方があっさりなんだ。。と書いていたら、弟からメールが入って、昨日、母が低血圧でお風呂で意識を失ったらしい。今は元気だとか。

伯母にはいつでも会えると思っていた。けどついつい後回しにしてしまった。見送れないと大きな悲しみは襲ってこないけど、じわりじわりと思い出す。その度に別れの寂しさを感じる。

夢には伯母は出てこなかったけど、なぜか夢から覚めた時に思い出す。

祖父の家

私たちが32年前に建てた家を二世帯に建て替えることにしました。
一部屋だけが和室になります。椅子とテーブルの生活に慣れてしまった現在の暮らし。
けど、私は障子、襖、畳、床の間がある部屋があって私の家が成立すると思ってます。

遠い昔、祖父の家に夏休みになると行ってました。今でも家の様子が目に残っているのです。玄関に入ったとたんに漂う薬の匂い、畳の診察室があって、その右裏に薬品庫がありました。診察室の先に今でいう居間、囲炉裏を真ん中にした部屋があって、そこには縁側があって裏庭に面してました。その右側の土間に台所、縁続きの左にも部屋がありました。裏庭には鶏が放し飼いになっていて、鶏小屋に時々、卵を取りに行きました。

診察室は他の部屋で囲むように仕切られていて、裏庭とは反対側にも部屋が三部屋、そちらには診察室からの廊下が縁代わりに続き、外には造られた庭がありました。祖父が設計した庭だったと聞いてます。

一番奥の部屋には北海道で為留められた熊が頭と手足がついた毛皮状態で敷物になっていて、部屋の中央に敷かれてました。なぜか私はその敷物の熊の首に抱きついて寝転ぶのが好きでした。熊の毛皮は柔らかくてひんやりして気持ちよかったのです。目はガラスの玉がはめ込んでありました。祖父が亡くなった後、私はそれをもらってきて、私の部屋に敷いていました。熊は成人した私よりも大きく、包み込んでくれるような気がしたものです。

飛騨地方の山の中腹にある村、家の外の小さな小川には山からの水が絶えず勢いよく流れていました。庭はその水を引き込み、上の庭は幾つかの木々が植わり石を重ねて滝のようなイメージで水が落ちるように造ってありました。その落差は階段にして三段?1mほどだったと思う。下の庭は平坦で静かな雰囲気でした。その場所の木々は存在を主張しないように間隔をあけてありました。そういえば灯籠がありました。私は下の庭が好きでした。落ちてきた水は小さな川の流れになり、外の小川に合流して出ていってました。


(写真は祖父の庭からの発想でちいさな流れがほしくて造ってもらったもので祖父の庭とは全く違います)

祖父が亡くなった後、その庭は下呂温泉の観光施設に移築されたのですが当時は行って見ることもなく、後年、寄ってみましたが、何の面影もなかったです。

熊の敷物のある部屋の前の廊下から取り外しのできる階段があり、三段降りたところに左に庭、右に蔵がありました。蔵の中に入るとひんやりとし、カビくさいというか蔵独特のにおいが感覚として未だに残ってます。蔵の前になる下の庭には飛び石があって、それを辿ると離れがありました。その場所に建つ離れはなんだったのか?記憶が定かではないのですが、祖父の書斎だったように思います。祖父が庭を見ながら本を読んだりする部屋。本が重ねて載せられた和机がありました。

今、思うと、その部屋からの庭の景観は遠くに山と滝、そして平坦な林を流れる小川。祖父の自然観だったような気がします。じっくりと離れに座って見れば良かったです。

あの頃は私はまだ子どもで、祖父は長い髭をいつも大事そうに撫でている威厳ある家長だったから、普通に話しかけられなかったです。食事は囲炉裏を囲んで食べました。時にお膳で。。祖父はいつも同じ場所に座り微動だにしなかった。姿勢が良く背筋がピンと伸びてました。

祖母や母がいろいろ話してくれたことがそのまま祖父の記憶に重ねられていて、今では誰から聞いたのかわからないです。生まれた実家が倒産して奉公に出たこと。その奉公先で気に入られて医者の道に進ませてもらったこと。祖母とは祖父の友人が妹をと紹介してくれて結婚したこと。北海道の白老に住んだことがあること。その時にもらった熊の敷物だということ。昭和の始め、当時としては新しい価値観で。。ふたりの娘を医者にしたこと。などなど。。でも祖父の声が思い出せないのです。

作日、ふと思ったのです。祖父とじっくりと話してみたい。
どんな話題が出て来るのだろうと。
私の心の奥底に祖父の思い出はしっかりと焼き付いている。あの頃、祖父はどんな価値観をもって、自分の家造りをしたのか、聞いてみたい。その祖父の家は元々の家と診療所を長男夫婦に譲って、そこから峠をひとつ越えた村に建てた家だったから、なおさら今の私には興味があるのです。

今、祖父の家はもうありません。訪れてもその場所すらわからないのです。
思い出と想像をかきたてる家として私の心の中にあるのです。
そして私の和室のイメージの原点は意外とその離れにあるのではと思うのです。