盆踊り

 岐阜県郡上市八幡町の盆踊り、50年以上前から有名でした。私が育った美濃太田でも当時は盆踊りが盛んでした。その時代でも郡上八幡での徹夜踊りに行くのは若者たちの楽しみで、うちに住み込みだった若い看護婦(当時はこう呼ばれてました)さん達は仕事が終わると出かけて行って、朝になって帰って来てました。当時、美濃太田の盆は23~ 25日でした。郡上八幡は13~16日なのです。

 私は踊りであれば、なんでも好きなんですが、今にも至るまで郡上八幡に行ったことがありません。5年前の夏だったと思うのですが、岐阜から飛騨、立山への一人旅を企画した時に郡上八幡近くの宿を探したのですが、満室で取ることができずに諦めました。いつか、訪れたいと思っているのですが。今年はコロナが阻んでます。

 昨日のTV「新日本風土記」は郡上八幡でした。それは私の子ども時代から青春時代の再現のようでした。盆踊りの踊りも歌も盛り上がりも全く同じでした。私も、中学高校時代、大学から帰省時もやはり踊り続けて朝帰りでした。

 故郷、美濃太田は郡上八幡のような昔からの町並みは旧街道(中山道)で、活気があったのは駅からの木曽川までの大きな通りでした。なので、出し車は郡上八幡よりも大きかったように思いましたが、20時頃から始まって明け方まで踊るのは同じでした。その日だけは学校も夜中に出ることを黙認でした。

この写真はTVからの画面です。

 盆踊りの曲は「かわさき」「さば(春駒)」「炭坑節」「東京音頭」などなどでした。上の写真の「アソンレンセ」という歌詞は「かわさき」です。全国区というか、有名な盆踊りの曲が流れてました。

三味線、太鼓、笛、唄を歌う人が乗って演奏されてます。

 美濃太田では囃子の楽器を演奏するのは芸妓さん達でした。出し車は確か二、三台、唄を歌うのは男性でした。その歌う声と囃子は何個かの拡声器から流れてました。踊りがピークに達すると踊りの輪は1㎞往復の輪になるだけでなく、それが三重の輪となります。賑やかでした。

これはTVの画面ですが、このような輪ができていました。

 昔の写真を探せば、たぶん残っているだろうと思うのですが・・・

 懐かしくて、わくわくする日々を思い出しました。

 

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