父の車
このところ、このノートパソコンの調子が良くなくて、アップできない日が続き、パソコンの中身を減らして、やっと書くことができます。
今から60年ほど前の話です。昭和30年代に父が初めて買った車の写真が出てきました。ダットサン210型だと思います。この場所は医院の前の道かな?
昭和30年代、まだまだ戦後の情景です。確かに道は舗装されていないので、岡田産婦人科があった場所なんだと思いますが、記憶に残ってはいません。
横から見るダットサン210型
その後、日本車はどんどん増えていったように記憶してますが、父がその後、どんな車に乗っていたのか、よく覚えてませんが、昭和38年の頃、私は車の免許を取ろうと父の車をガレージから出した時に父が止まれと言ってるのに止まれず、車の横に付いていたモールがはがれて、ひどく怒られ、運転練習は先延ばしになりました。たぶんトヨペットの車だったと。
父が嬉しそうにモデルさんと写ってます。この車はフォード・タウナス(ドイツで生産された)です。始めての外国車でした。下の写真には66という数字がたぶん1966年(昭和41年)に買ったのでしょう。
父は昭和45年の1月に他界してます。まさかこの写真の4年後に・・・父がいなくなるなんて、父自身も思ってみなかっただろう。。。
父が病気で入院した時に私は東京での仕事を休ませてもらって、私が父のそばに付き添うことになりました。そして、いよいよ車の免許を取ることになりました。当時、運転の練習は教習所内に造られたコースを借りて、教習所の車か自分の車で練習するというものでした。一緒に助手席に乗ってくれる人もいたように記憶してますが、今のようなシステムではなかったのです。
そして運転免許を取得するには警察の運転免許試験場に行って、学科試験を受け、合格すると二回の実技試験が認められます。私は実家の岐阜県で受けました。実技試験は減点式でしたから、途中で「はい!ここまで」と言われたら、落ちたということです。
学科試験の二度目を終えて、実地試験3回目、私はほとんど男性ばかり50名以上の試験場で確か2名の女性だったので、他の受験者が「頑張れよ!」と応援してくれました。合格した時はみんなに「お〜!3回目って!すごい!」と祝福され、ちょっといい気持ちになりました。(笑)
昭和43年の夏でした。
初めて家から運転して、父が入院していた名古屋大付属病院まで(約40㎞)運転した時の緊張感は今でも忘れないです。父も心配で居ても立っても居られなかったようです。タウナスだったのか?記憶になく、その日、病院に泊まり、朝、起きて車を見に行ったら、タイヤ4本とも盗られてました。
いやいや、とんでもないことでした!!110に公衆電話から、かけるのが、なぜか119になってしまって・・・携帯なんてない時代、全てがアナログだった時代。めちゃめちゃ焦ったのを思い出します。
そんなこんなでの私の車人生の始まりでした。
あれから52年も過ぎたのですね〜
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