そして・・・
朝から暑い日でした。外の風を入れているけど、昨日のような爽やかさはない。湿った空気でした。
9時過ぎにエアコンの設置工事の人が来ました。前の室外機の位置を確認して、隠蔽配管になっていると言われる。真下に降りてても、通っている壁が入り組んでて簡単にはいかないと思っていたのでこれを使わないでベランダに設置を頼みました。
二階の部屋の外にあるベランダに室外機を設置し、前のエアコンと室外機を外して下取りということで無事、終了しました。ホッ!
これで家の中に籠るしかない暑い夏を乗り切ることができます。エアコンをON、OFFすると「冷房を28度で開始します」「運転を停止します」と女性の声でアナウンスされます。
ふふふ、ひとりじゃなくなったね〜
さ〜て、じっくりと身体をほぐすことにします。
なぜか暖房!
私の部屋のエアコンをかけると、どう感じても暖房になっている。もしかしたらクリーニング出来てないからかもと取扱説明書を探す。ずいぶん見てないから、どこだろう?と思ったけど、たぶんここだろうと思った場所にありました。大丈夫!まだボケてない。(笑)
さて作業を始めると機種は間違っていないけど、図が少し違うので、どこのことを言っているのか、わかりにくい。老眼なのでメガネをかけて読んでるわけだけど、エアコンは高いところにつけてあるのでかなり苦戦しながら、何度も見ていると、そうか!ここのことだと気づいた。
そうなると作業は簡単で、分解し埃が溜まっていたユニットを掃除することが出来て、元に戻してホッとした。さて、これで解決したのだろうか?エアコンをつけてみる。
あ〜あ、暖房!!
このエアコン、2008年の製品だから、古いし、買換え時かなあ?!
それでも何か原因があるかもとリモコンの乾電池を取りかえてみた。で、始動!・・・やはり、暖房!これ以上は素人では無理です。
ということで結局、買い換えることにしました。(泣)
8月6日11時の室温です。今日は35度以上になるという予報です。
「はい!場所は二階で、ベランダに室外機があります。」と言って新エアコンを買い、設置の予約をして帰りました。帰ってしばらくして、ベランダに出てみました。あれっ、室外機がないじゃない。
配管は壁に入って・・・その先がどこに行ったのか?探すのだけど、見当たらない。家の外をあちこち見ると室外機は何台かあるけど、全て違う。家を建てた時の現場監督がわかるはずだから、電話連絡するけど、忙しいのか、返事がない。もし壁をずっと通しているとなると工事はどうなるのかな?
その後、現場監督からの電話で二階からの真下、一階の外にあると思うって。いつも仕事場(織の)行く通路にありました。ホッとしましたが、よく見ると隠蔽配管なので工事がやりにくそうです。
そんなこんなで、まだまだエアコン問題は解決してません。(悲)
網かけ
毎日、暑い日が続いてます。家の中に居る間はまだ何とか過ごしているのですが、一旦、庭に出たりすると汗が滝にように出はじめて何度も顔を洗うということになり、その度に化粧水とか顔につけることが面倒になります。
鳥がブルーベリーの実を狙っていて、時々、まだ熟してないのにやって来る。たぶん、他の鳥に対するアピールなのだろう?これは自分のものだという。なので私も「私のものだ!」とアピールすることにしました。
こんなに大きな網目で良いのか?と思ったら、庭師さんが「鳥は網に引っかかると逃げることができないと知ってて、これで充分なんです。」って、そういうことなのだと納得でした。
いずれにしても収穫しようと思ったら、それなりに対策しないといけないのですね!
メダカはどう見ても1匹しかいない。メダカは初めての場所に入れられると飛び出してしまうそうです。ということで今のところ、ニホンメダカ1匹だけど、そのうち白メダカが加わるのを待ってます。
そうそう昨夕、庭に出るとハグロトンボが一羽、飛んでました。あれ!帰って来たの?と思ったけど、いつの間にかいなくなりました。写真に写す間もなく・・・
そんな庭模様でした!
やっと梅雨あけ
阪神間は梅雨が明けたようですね。徐々に暑くなって来ていたけど、昨日までの雨模様がすっかり消えて、今日は朝から日が射してます。顔を洗っても少し動けば、汗が止まらない。
ブルーベリーの実の色が赤くなって、ちらほら黒くなってるものもあるせいか、鳥が来る。いつもの鳥、ヒヨドリかイソヒヨドリのどちらかだと思う。昨年はほとんど彼らに食べられたので今年は網をかけて守るつもりだ。
ちょっと留守をするとどんどんツタがはいまわって、草木を覆ってしまってるので、この際、ツタを排除しようと、虫除けをあちこち塗り、蚊取り線香を腰にかけて、帽子を被って、ツタを引き抜いた。小さな庭なのですぐに終わったけど、根まで取れていないのでまたすぐに伸びて来るだろう。
前の日にはたくさんの蜂が飛び回ってたので、庭師さんが蜂取りを仕掛けてくれた。減ってるように思うが、水場で水を飲んでる、こんな姿を見ると蜂にもうしわけないと思う。
臼の雨水が溜まって蚊が増えそうなので、ニホンメダカ6匹を入れてもらった。今日、確認すると水草に隠れてるのか、1匹しか見つからない。でも楽しみが増えました。
こんな収穫もあります。これだけなんだけどね。
雨の合間に
2週間前、神戸に行ってました。しばらく居るつもりでした。けど、このところのコロナ感染の増加で但馬に帰った方が良い、息子は今の感染の上昇傾向はマズイとの判断でした。70歳過ぎた私たちは重症化するから当然のことだと思います。
ということで、ここに帰って10日間になります。毎日、家にこもる日々となりました。運動不足になってしまうので、雨雲レーダーの動きを見ながら、雨の降らない時を見つけて、自転車で走ってます。で、マスクをしていると蒸してくるので外すことが多いのです。
と!、声をかけられます。でも止まらないで「こんにちは!」と通り過ぎます。今は蜜を避けないといけないですからね〜 マスクをしてないと近寄ることができません。そんなわけで申し訳ないけど、通り過ぎてます。
田舎なので若い人以外は知り合いばかりです。でも最近は誰だっけ?と思うことが多くなりました。知り合いが年齢を重ねてしまって・・・ 私の場合、しばらくこの地に居ないことが多かったので徐々に年齢を重ねていくのを見るという緩やかな時間の経過がなく、ひとっ飛びに数年が経過しているので一瞬、誰だっけ?となってしまうことが多くなりました。多分、向こうもそうなんだと思います。
時に、ああ、この家の前で「元気にしてる?」などと声を掛けあった人はもういないと思いながら、通り過ぎることがあります。その時の笑顔を思い出し、ふっと淋しさを感じます。
この地に越してきて40年、私の人生の中で最も長い居住地になりました。子ども時代を過ごした岐阜時代よりもその後の東京や横浜時代よりも長くなりました。今、岐阜の実家があった場所に行っても全く知らない場所となってしまいました。いつの間にか住宅地に変わってしまった田畑や小山、子どもの頃、小川で遊んだ場所を見つけるのは至難です。私の記憶の中には今だに存在しているのですが。そしてそこで同級生の姿を見つけることも無理です。お互いに老けましたから。
私の住む但馬で大きく変化した場所は高速道路のインターチェンジ(IC)が設置されたところでした。この場所は広々とした大きな空間をもった田んぼでした。初夏には緑、秋には黄金の大地となる素晴らしい場所でした。その真ん中に立つと、ちっぽけな自分を感じて、悩みも吹っ飛ぶようでした。
但馬は山と山に囲まれた狭い空間に人々が暮らしてます。人々は山裾に家を立て、真ん中に農地という暮らしをしてきました。その中で最も広い空間だったのです。
この写真は道路で寸断された片側です。道路の反対側にも同じように農地が広がってます。高速道路は山に向かって伸び、先はトンネルになってます。下にはみやげもの店、食堂、コンビニなどが出来ました。
今でも広いとは思うのですが。明治時代に鉄道が通って、でもこの場所に駅は困る、大切な農地が失われないように駅は離れた場所に建てられました。線路は山裾に。そして移動手段が鉄道から自動車に移行する時代になって、結局、ここにICが出来ました。
最初は高速道路はここまででした。降りて来た車はしばらく、この地を潤しました。けど今、道はもっと先まで延長されて、通り過ぎる車が多くなりました。交通手段が変えていく、人々の暮らしの変化をかいま見ました。
今はコロナのせいで鉄道や高速バスの利用が減ってます。個人の車で移動したり、買物には行かず通販で家まで運んでもらうなどが多くなってます。それが続くのでしょうか?
今後、どうなっていくのか、今は先が読めません。
洪水で・・・
私は飛騨の山奥で生まれ、木曽川のほとりで育った。木曽川の中流域にあたり、普段の川幅は300mほど、河原はかなり広く、丸くなった石ころがゴロゴロと続き、場所によっては大きな岩もある。小学校の帰りはいつも河原で遊んでから家に向かう日々でした。夏になると川遊びをしたものです。当時はプールはなかったので泳ぐのは木曽川でした。流れが早くて、泳ぐ練習にはならなかった。
大雨が降ると河原は全く見えなくなり、川幅はいつもの二倍に広がって、上流から大きな流木が流れてくる。その光景は毎年、当たり前のことでした。今では考えられないけど、雨が収まると川を見に行ったものです。流れてくる流木をうまく引き上げる人もいて・・自然に生え折れた流木ではなく、加工した材木なので引き上げれば、売れるからだ。今では考えられない話である。
この場所はたぶん、川沿いのお寺の境内だと思われる。河川敷よりも数m上になる。水に漬かってる木々は下にある遊歩道に生えている。写真は白黒なので昭和30年代ではないかと↓
この時、川からの水があふれ流れている道路もありました。川が大きく蛇行する場所、そこは少し低くなっていて、毎年のように水に浸かるのです。
1983年9月28日、木曽川は台風10号による観測史上最大の洪水でこの町の中心街を一瞬のうちにのみ込んだのです。実家は川から1㎞以上、離れた場所にありました。実家のすぐ下の家の一階は水に浸かったのです。そこよりも1m以上、高かった実家は免れました。その後、町で店を出していた人々は閉店を余儀なくされたり、夜逃げをしたりと、人の人生を狂わせる大きな災害でした。
それから10年ほどして、久々に実家に帰り、木曽川に行きました。川は何事もなかった風にとうとうと流れてました。
がしかし、下まで降りるには、こんな急な階段でした。こんなに高くて頑丈な護岸工事をしないと濁流と化した水を避けることは出来ないのだと思ったものです。
テレビに映る濁流と化した川の勢いを見て、温暖化で大きく変化していく自然災害の怖さ、決して人ごとではない。新型コロナにしても・・・たぶん、人がいきすぎてしまったツケなのだろうと。。。
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