ベガ

ニュージーランドでは


(家の前)

日々、書きたいことばかりなんだけど、時間がなくて、追いつかない。
日本と違うこと。なるほどと思うこと。
面白いほど、次々とあるのです。
まだ、ほんの少しの時間しか過ごしてないのにものの見方が変化してきます。


(アルバート公園)

言葉が解らなくて、困ることがたくさんあります。
それでも息子たちが通訳してくれるのでなんとか。。。なることもあり。
いつも決まったバスに乗って行くとか、日用品や食料の買い物はできるのですが。。
免許証とか、銀行口座を作るとか、となると一人ではできないです。


(こどもの乗馬ができる牧場で)

銀行のカード、買い物に便利です。
どんなに小額でもカード払いができるのです。
現金を持ち歩かなくても良いので。
払った確認も銀行のホームページでできる。
便利です。


(タカプナビーチで)

運転免許証、もらったけど、交通ルールが違うので運転するのがこわいです。
それでも近くのスーパーマーケットに行く時とか、保育園の送り迎えに必要な時があります。
今週は出かけるしかないかと。。。

図書館のカードもパスポートとニュージーランドの銀行の証明があれば、手に入れることができます。
先週、借りた本をそろそろ返さないといけないです。日本語の本もあります。
こちらに来た人が読まなくなった本が主らしいです。けどまだ小説など読む時間がないです。


(近くのププケ湖に黒鳥が)

そんなこんなで過ぎて行く毎日です。

ニュージーランド

6月30日からニュージーランドのオークランドに来てます。
来てから12日間、あっという間に時間が経ちました。
最初の一週間はいろいろと手続きがあって、今日は何日なのか全く考えられないほどでした。
でもだからなのか、一日が濃くて長い感じでした。

今週に入ってから、日が過ぎるのが早いです。
住んでいるのはTakapuna。オークランド市内から「Northern Express」というバスに乗って20分ほどで着く場所に居ます。下の写真はいつも乗るSmales Farm Staition。時間帯によって、二階だてバスの時があります。

ほとんど毎日、市内に出かけてます。
バスからの景色は途中、橋を渡って行くので、海に浮かぶヨットやボートを見る日が多いです。この日は帆を下ろしてます。停泊中なんでしょうか?

最初の写真のように数えきれない程のヨットを見て、市内に入っていきます。
「Northern Express」はBritomartが始発で終着です。

このバス停前にBritomart駅があります。どこにも駅とは表示はなく、郵便局庁舎を改修したと書いてあります。オークランドとウエリントンを走る長距離列車とローカル線の駅が地下にあります。

 

市内はとても活気があります。マクドナルドもスタバもヴィトンなどのブランドの店もあります。アラブの人、中国の人、韓国の人、ロシアの人、日本人、インドの人、イギリスの人、、、、いろんな国の人が歩いてますし、それぞれの国の店があります。寿司を売る店も多いですが、日本の寿司とはちょっと違いますし、店員さんはほとんど日本人ではないです。

この街は坂が多くて、それも半端な坂ではなくて、勾配のキツい丘を登る感じです。

 

メイン道路のクイーンズ ストリートは緩い坂なんですが、それでも足にきます。最初の週は筋肉痛が一日中、続きました。やっと慣れてきました。

バスステーションから歩いて、10分。メインストリートからちょっと逸れるとオークランド美術館や図書館、アルバート公園があります。

ここは美術館です。天井の木の板が面白い形をしてます。この花は開いたり閉じたりしてます。
美術館から見える街も良くて、前の建物の一階のカフェはお気に入りになりました。

たじまもりさんの写真

開業以来、医院の待合室に友人のたじまもりさんの鳥の写真12枚が展示されてます。先日、新しい写真に変わりました。

ここに訪れる人は「えっ!但馬にこんなに多くの鳥がいたの?」って、驚きます。この土地に何年も暮らしていても、実はみんな気づかないで過ごしているんですね。私もこんなにいると聞いても、写真で見ても、ほとんどの鳥に出合ったことはないのです。

じっくりと見る時間の余裕がほしい!と思います。
もしかしたら時間の余裕ではなくて、心の余裕がないのかもしれませんが。。。

生まれたばかりのフクロウのヒナ、白い毛に覆われて。。。

今回も12枚の写真を取り替えていただきました。

一枚一枚、紹介したいのですが。
素晴らしい写真の数々です。
たじまもりさん、ありがとうございました。とてもとても感謝してます。

たじまもりさんの写真はネットで見ることができますよ。
TAJIMANIA Sanctuary に行ってみてください。

町を散策

このところ晴天が続いている。家の中にいるといつの間にか時間が過ぎてしまうような気がして、ちょっと自転車で町を走ってきた。

この自転車、元来、走りが軽い。
けど、このところ重くて、ギアが4でも疲れる…
体調が悪いせいだろうかと思っていた。そんなはずはない…のだが(^-^)

自転車屋さんでタイヤに空気を入れた途端に、全く違う自転車に乗ってるように軽くなった。スイスイ!
ギヤを7まで上げても無理なく走ることができる。
タイヤに空気がしっかり入ってなくて、地面との間に抵抗力がうまれていた?!かな。。

風を切って走るのは気持ち良い!
久しぶりに和田山の町をあちこち走ってしまった。

ここは桜並木が川沿いにあって、桜の時期には通り抜けになる桜の名所。
大学の頃、何度もスケッチに通った場所で思い入れが深い。

桜並木を過ぎるとカーブして円山川!遠くに竹田に続く山々、橋の向こうに播但線の踏切があって、その右手に息子たちが通った枚田小学校が。

この川沿いの町並みはいいな!なんか風情がある。
小学校が左奥に見え、バイパス道路の橋が右上を走る。

町並みの通りに、この道別れに残る旧い道案内はなんと書いてあるのか?
右いせ、左はりまかな。川を渡ると伊勢、川を渡らないで竹田の方向に進むと播磨ということ?
(参考和田山町の町並み)

そういえば、この川を渡る場所にたしか、お地蔵さんがあったっけ。
水害などで流された子どものために立てられたと聞いたことがある。
だが、そこからは播但線の線路が間にあって、川沿の道には行けない。

写真が暗くて…右手にお地蔵さん。
この川、昔(道案内の頃)は船で渡った。今はあおぐように高い場所にバイパス道路の橋がかかる。さっきの場所とは反対側が見えている。
つい最近、高速道路が次の町まで延びて、この道を通る車が少なくなっている。町は道路事情によってどんどん変化していく。どちらかというと寂れていく。

一時間ほど、町を走って、以前とは違う町の姿を味わった。そんな町の姿を記録してみるのも面白いかも!

そして2013年春

春、医院の庭には花が咲き、小鳥が歌ってました。

水はこころに沁みる音を奏でて流れ、小さな池をつくってます。

2007年の12月、庭はあっても樹々が枯れていた場所はこんな風になりました。

いい雰囲気になってます!うんと昔からずっと存在していたような庭になりました。

新医院を開業したばかりの頃、続けていけるのか不安でしたけど、今はもう心配してません。
バトンタッチは終わってます。

私たちの医院を閉じてから6年、しばらくこの地を離れていましたがこの5月に戻ってきました。こうして記録しておくことで、すっきりと次のステップに歩むことができるように思います。

2008年7月

2007年12月、まさかまさかの展開で消化器内科の医師となっていた長男が開業することを決めました。で、今までの医院を縮小した形でのリニューアルをしました。

2008年7月、突貫工事でなんとか開業することができました。

すっかり違う空間になった新医院です。内科、消化器内科、肝臓専門です。

診察室 パソコンがあって電子カルテと最近の医療は大きく変化してます。

処置室です。

エコー、内視鏡室です。

全体に白っぽい病院のイメージをさけた設計になってます。人の気配が感じられるのは良いですね。

待合室から庭が見えるようにしました。雑木林のような庭によってほっと癒される空間をイメージしてました。
でも、暑い夏7月、木を植えるには適してなかったので、この時は何も樹が植わってませんでした。

去年の医院の庭の様子です。

医院の中が明るく、ひとの温もりを感じさせます。ほっとした日でした。

2007年11月

2007年11月末、私たちが27年間、働いてきた仕事場を閉じることになってしまいました。
今はもう存在してないその場のことを記録として、ここに残しておこうと思います。

正面玄関を入ると

待合室がありました。受付のカーテンが明るい。。。

カーテンの内側は事務と薬局でした。

ドアの向こうは診察室、廊下の先にはレントゲン室や手術室があり、階段を上がると病室でした。

ドアを開けると診察室と処置室(理学療法)に分かれてました。

レントゲン室。。。

どの場所もひと気がなく、時間がそこで止まってます。
まさかこんなに早く医院を閉じるとは思ってなく、もっと働くつもりでしたが。。。

そうそう処置室の窓からはこの奥の庭が見えました。

医院の整理で。。。すっかり荒れてましたが。

医院を閉じた11月の時点ではこの仕事場はこれからどうなるのだろうと思ってました。

猫と私

このこ、チンチラのリオ、16才になります。人間の歳だと80才くらいなのかな?おじいちゃんです。

若い時は俊敏で飛んでいる小さな虫でも飛び上がってキャッチしてましたが今は老齢なのでもう無理です。起き上がるとフラフラとしてバランスを崩すことも多々あって、足をすこし引きずりながら歩き始めます。それでも顔つきはしっかりしているので獣医さんにも16才には見えないと言われます。

犬は飼い主の様子を常に気にかけていて従順だけど、猫は勝手気ままだと言われてますね。犬は人につく、猫は家につくとも言われます。リオは家につくことができないほど生まれてから居る場所がコロコロ変わったせいか、家ではなく人についているように思います。

私のところには3才位から来て暮らすようになりました。この5年半、一緒に暮らせない日々もあり、ちょっとストレスを抱えてましたが、この半年ほど一緒に過ごすうちに落ち着きました。以来、私の側から離れません。私が一階に居ると一階に、二階に居ると二階に。私が移動すると必ずやってきます。そして私の近くで寝そべってます。

一階の定位置はここ!他の人が入ってくると警戒するので見えない場所、ソファーの裏側にいます。

二階にあがるとすぐ追っかけてきて、まずはまたすぐに降りるかもと。。様子をみるために階段の一番上に手をかけ、次の段に座ってます。

私が二階に落ち着くと定位置はここです。

こうして私を頼って安心して眠っているのを見ると。。

しばらく家を空けることが。。。
海外に連れて行くには歳をとり過ぎていて。。どうしたもんか。。

さっきから早く二階に行こう!もう寝ようよ!と
ミャアミャアうるさいリオ!!
こんなに長く一緒にいると猫語も日本語もお互いに理解できるのです。

蘇ったバイオリン

埃が積もって、でもケースに入って保管されたまま40年ほど、義父が使っていたバイオリンを初めて見ました。次男の嫁さんのEさんが見たい。できれば使いたいということで。このバイオリン、フタを開けると買った時の領収書が入っていたそうです。「昭和24年5月20日の日付、約16000円。京都市左京区熊野神社前上ル 徳田屋楽器店」という内容が書いてあるという。(当時の初任給の35倍が今の貨幣価値ということで計算すると56万円かな)

義父がこのバイオリンを手にする時の話が伝わっています。この楽器店に訪れた義父はこのバイオリンではなく、他のバイオリンが良いと思ったそうです。そのバイオリンはどう見てもストラディバリと読めるが値段が安くて、それを友人とコソコソと話して、いったん外に出て。。でも気になって、戻った時には値段が上がっていたそうです。お店の人がコソコソを聞きつけて気づいたのでしょう。それでも何とか工面すれば買えない値段ではなかったが、お金をかき集めないといけないので諦めて買ったのがこのバイオリンでした。という。ちょっと残念というか。。曰く因縁があるのです。

このバイオリン、チェコスロバキア製です。バイオリン職人の方に弦も切れ駒も魂柱も外れているけど調整できるかと持って行って聞きました。これは手作りではなく工業生産のものだがごく初期のラインにのって作られているので手作りに近いものがある。調整しないとわからないが良い音が出る可能性があるということでした。ニュージーランドに行く前の限られた時間だったので職人の方にはお願いできず。

そこで次男の家族が教えてもらっているバイオリンの先生がなんと調整してくださって、次男家族がニュージーランドに行く前に間に合ったのです。先生が「素晴らしい音ですよ」と弾かれて、その音の響きにびっくり!こんなに凄い音が出るなんて。。先生の話ではこの楽器はコンサート会場などで弾く楽器です。とにかく弾くことが一番です。それでますます良くなるでしょう!って。

そんなわけで孫達の可愛いバイオリンと一緒にニュージーランドに旅だって行きました。

さて、Eさんの話では「このバイオリンを手にしてから、今までの自分のバイオリンは全く使わなくなりました!」

お祖父ちゃんのバイオリン、蘇って良かったです!!
いつか孫達に継承されるのかも。
曾お祖父ちゃんのバイオリン!!って。

はまかぜ

 神戸の三ノ宮に用事があって、久しぶりに特急「はまかぜ」に乗った。山陽本線を通って播但線から和田山に至るコース。須磨海浜公園から垂水までは海沿いを走る。大型船舶がゆったりと海に浮かぶ。意外と多くの船が行き交うのが見える。浜松和田山間、最近は京都経由で行き来していたから新鮮な気持ちになる。懐かしさもあって、すごく気持ちがよい。

 どの景色も心地よく懐かしい。そう言えば、この道は。。。なんて感傷的な気分にもなる。神戸近くの海を走る船はある時期、神戸港を迂回して通り過ぎることがあった。阪神大震災後一年経たない時期に神戸市立医療センター中央市民病院に膵臓癌の疑いで入院したことがある。そこから見えた景色は海を行く船だった。まるでビルみたいな大型船舶がゆっくりと通り過ぎるのを何度も見た。

なんてことを思いながら。。。

「はまかぜ」は姫路から進行方向を逆にして、今来た方向に後戻りするように播但線に入って北に向かう。いつもは9階から横に見ている雲を仰ぎ見た。これが普通なんだと思う。

高速道路に乗らないでのんびりと下の道を走った日が遠い。そうそう、あの場所。。。
なつかしいというよりも妙にあたたかな気分。。

澄んだ水を見るのはいいものだ。こんなに近くに見える。山陰線の風景とは違う。
これからはこの路線を乗るのも良いな!って、今頃、気づいた。。

浜松和田山間を行き来するのも、あと一ヶ月。

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