京都

京都駅では

季節の変わり目は雨が多い。今日も雨、山陰線の車窓から見えるのは靄っている里山。

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いつもの時間にいつもの特急、ちょっと出かけようとすれば、この時間しかない。

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京都着が10時過ぎ、浜松に行くには56分のひかり号しかない。で、待ち時間にランチを買って…プラットホームに。いつものように53分発の「のぞみ号」が入ってきて、ドアが開く頃、ひかり号が入ってくる表示が。。のぞみ号のドアが閉まり、プラットホームを抜ける頃、56分発のひかり号がホームに入る。この間が3分か・・・

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ふと時刻掲示板を見ると、次の「こだま号」は59分。

京都駅では3分おきに東京行きの新幹線が発車してるんだ!って気づいた日。

 

 

幸せ感

歩くには無理だと曲がりくねった細い坂道をタクシーで宿に着いた時、辺りは真っ暗になっていた。美味しいとはとても言えない夕食をすませ、大浴場には行かず古いユニットバスに入る。この時期の京都は観光シーズンで11月に入ってから宿を取るのは難しい。ちょっと不便だけど、まあ良いかと予約した宿、今時、めずらしくテレビもない部屋だった。次の作品のために草稿を描くつもりだったけど、暖房を入れて暖かくしたら睡魔に襲われてしまった。

早く寝たせいで5時半に目覚めてしまった。外はまだ暗い。うとうとしているうちに徐々に明るくなってきた。と。。
あれー!これは!?と窓の外に現われた光景にびっくり!窓を開けて、身を乗り出す。

思いがけない光景だった。急いで着替えて、フロントに行く。
この景色がよく見える場所に行きたいのだけど、どう行くのが良いの?と訊ねると
三階の非常口から行くのが良いでしょうと。

その非常口を開けるとまたまた予期しない光景が待ってました。

これって能舞台ではないか。どういうことなんだろう?
この宿、どう見ても洋館なんだけど、妙なミスマッチに首を傾げながら進む。

このガラスの波打つような状態、かなり古い。。けど、能舞台が造られた後に入れたような気もする。

能舞台の向こうに美しい樹々が見えている。そのまま進む。
この能舞台の家屋のための門があり、そこから能舞台のある玄関までの通路に出た。

裏山を背にした空間に広がる樹々の美しさに息をのむ。

足元にも。。。

見上げて葉の色の重なりにうっとり!静かな時がながれていく。

もういちど庭に戻ると能舞台の庭に入る手前に下に向かう道がある。
進むと外待合の腰掛があり、その目線の先に茶室があった。

能舞台の庭もよく手入れしてあった。ここの庭もそうだ。使われているのだろう。

茶室の先を降りるとそこは私の部屋から見えた場所だった。二階になる。こちらの施設はどうみても洋館なのだ。

フロントに行き、このミスマッチについて訊ねた。
能舞台は秀吉の豊公三百年祭の時(明治時代)に建てられたものでそれが廻り回ってここに。個人所有だったけど、売りに出された時に地続きなので購入し、茶室も能舞台も使われているということだった。あのガラスも三百年祭以後に入れられたという。そういうことかと納得する。

せっかく早起きしたので周囲の散歩に出かけた。
曼殊院が近くて、その周囲は朝の散歩に来た人、カメラを担いでいる人が疎らにいるだけでまだ観光客がいない。

なかなかいい散歩道だった。

曼殊院の参道

曼殊院の前の神社から見えた景色

歩きながら、遠くを見れば、向こうの山が。。京都は山に囲まれているのだったと思う。

宿に帰って正面横から見るとまさに裏は山。そして洋館。

急に冷え込んだおかげで思いがけない美しさに浸れてとても幸せな朝だった。

学生時代

今度の作品に使いたい糸がとんでもなく値段の高い糸だった。仕方なく他の糸を求めて京都に行ってきた。糸の表情が良いのが二種類、一綛づつ試織用に買って、ひさしぶりに大学まで足を運んだ。染織の先生方と近況報告など歓談して帰る途中でふと思い出して、大学の真ん前にあるMiwaに寄った。

ここは院の学生時代にみんなでランチを食べにきた店。スクーリングの度に必ず一度は寄る店だった。その仲間とは今でも年に一度のグループ展をしてる。
店に入ると夕食には少し早い時間だったので、誰もいなかった。

夕食としてはリーズナブルな値段。2650円でこれ!

まずは前菜。。お酒が欲しくなる品々。。で、ついノンアルコール、頼んでしまった。

お刺身も美味しかった。

これは自家製の豆腐三種。これはランチにも少しついてたな!と思い出した。

このキスの南蛮漬け、キュウリとオクラ、サヤエンドウ、レタスがいっぱい入って、その上に大根おろしとゴマ。これはとくに私好みでした! 家でもまねて作ってみよう。。。

メインの魚料理。焼き茄子も。。。雑穀ご飯と汁物。。
ここまで来ると私のお腹はいっぱいで食べられるかと。。でも食べちゃいましたが。
ぜんたいに野菜がたくさん食べられたのも良かった!

まだまだ、ここは洋菓子のお店!
でもあるのでデザートと飲み物がつくのです。
甘みを抑えたデザートでした。

そうそう学生時代にここのケーキをお土産に買って、授業が終わったら取りにきますとお願いしたのに忘れて新幹線に乗って気づいたことがあったな。Miwaさんがその日の分はお店で引き取ってくださって、次のスクーリング時に新しいのをと。。

その話、覚えてらして。。
その頃、よく来ていた人たちが誰も来なくなって、違う人たちになっているそうです。
みんな卒業したんだねって。。。

「大学もしばらく来ないとずいぶん変わりましたね」とわたし。
「バス停の後ろにエレベーターができたそうですよ」とMiwaさん

バス停の和風屋根の付近がエレベーターのような。。。

外に出て、旬菜和食Miwaなんだと!

学生時代はこの階段を斜めに上がり下りしていたっけ。。。
その日も階段を上がり、降りました。エレベーターのことを知ってたら。。。

学生時代と言えば、う〜んと昔もあるけれど。
私の二度目の学生時代はまだこの階段がなかった頃に始まったのでした。12年前、懐かしいです。

日常を離れて

野村別邸「碧雲荘」(非公開)を見学できる機会があって行って来ました。写真は撮ることができないので、ホームページを見てください。

京都の野村美術館の隣にある広大な敷地に建ってます。京都にはこうした屋敷や別荘が多いです。北白川通りに行くバスに乗っているといくつかの屋敷を見かけます。高い塀に囲まれてバスのように高い場所に席があっても中を見ることはできません。

碧雲荘は想像を超えるスケールの庭といくつかの茶室、特別なお客様を迎える大書院、能舞台などがありました。庭は東山を借景に基本的に赤松と椛の樹木構成で足下に草花などは植えられていないです。桜の木が二本という感じです。茶室の庭であるからだと言われました。

当時は珍しい芝生が植えられたり、池の周りの石の使い方も当時(昭和3年完成)としては大変、斬新だったそうです。待月軒という満月が東山から昇るのを真正面から見られる場所からだと右手に舟茶室がある。そこからは舟には見えなかったのですが庭を歩いて、その場所に行くとたしかに館舟でした。

この舟でお茶をいただくなんて庶民の私にはあり得ない話ですが、風流ですね。私はどうもドイツのリンダーホーフ城にルートヴィヒ二世が造らせた洞窟に浮かぶ舟を想い浮かべてしまいました。そこは妖しい場所でお茶とはとてもとてもほど遠いのですが。。

それはさておき、どの建物も素晴らしい。大書院もとにかく広くて高い。床も、襖絵も欄間も鮮やかに描かれ、手作りのガラス戸は実に大きい。手作りだから波打って見える。開けると庭が。。。広々と。そして随所にいろんな工夫がなされ、見る人を楽しませる庭作りである。

琵琶湖疎水を滝をイメージして引き込んでいます。疎水を知る人は京都市内を流れる水音と水量が如何に大きく多いか、ご存知だと思います。その水が庭の池の水となり、そのまま外の水路に流れていく。こうした水の使い方は他の屋敷の庭にもありますが、ここはダイナミックです。

正門の手前にあるもみじが真っ赤に紅葉してました。今年の紅葉はまだまだ、他のもみじが色づくとどんなに美しいかと思いました。

しっかりと一時間半、邸内を案内してもらいました。正門の潜り戸から出ると秋の京都、南禅寺界隈、金曜日なのに観光客が途切れることなく往来していました。

川島テキスタイルスクールで

新幹線に乗っています。京都〜浜松
川島テキスタイルスクールに行って、英語で書いてあって織り方が解らない技法を教えてもらうつもりでした。

どうしたことか?お尻の筋肉痛で立ちあがることもままならなくなってしまったのです。身体が資本なので諦めて帰ることにしました。

このところ、どうも身体と気持ちがチグハグしていて上手くバランス取れない。
病後の立ち上がりを焦っているのかもしれない。10月は充分、休養しようと決めた。

川島テキスタイルスクールは大学の三年目にちょっと立ち止まって、デザインのことなどを勉強しようと当時「ウイークエンドスクール」という講座を受けることにしたのが最初の受講でした。

講師の石崎朝子先生、故磯邉晴美先生に初めてお会いし、そのテキスタイルに対する真摯な姿勢に感動したことを思い出します。この時の内容は☆デザインの発想☆色彩☆組織素材☆インテリア・服飾でした。

最初が「デザインの発想」でした。大学で作品を作る=何かを表現するということの難しさで悩んでいた時期でした。行き詰まって川島テキスタイルに行ったとも言えるのですが。。。ドローイングから入って、描いたものを切り取る。新鮮でした。その他の講義内容も楽しく、風景をスケッチすることに抵抗がなくなりました。

それ以来、時々、川島テキスタイルスクールに通うようになりました。染色は堀勝先生に、綴れは中崎明美先生に指導していただきました。今も時々、教えていただいてます。石崎先生は退職され、磯邉先生は亡くなられてしまいました。寂しくなりましたが。