浜松

まちなか

ここは街中のビルの9階、周りの景色はどちらを向いてもビルばかりです。そのビル群にもそれなりの個性があります。色や形、窓、それぞれ違うでしょう。どんな思いがこめられているのかなって。建てた人も、住んでる人も、お仕事している人も。。。

この部屋の窓から、空が刻一刻と変化していくのを見るのは楽しいです。
ある日の午前中です。

太陽が上がってしばらくした頃。

すっかり青空になって。

時々、流れる雲。

こんな移り変わりを見ていると時間が経つのを忘れてしまいます。

母と

ケアセンターの食堂で、お茶を飲みながら。
母が「ここにいるとね。みんながどんどん歳をとっていくのがわかるのよ」と言う。
それって、どういうことなんだろう?

少しすると他の方がケアの方と車椅子で、お人形と一緒に隣のテーブルに。人形は前の席に。
お茶とお菓子をいただいておられる。そして何度も立ち上がられて前に向かっておじぎをされている。

食堂のボードに誰かの書がいくつか張ってあった。その話題から、
母が「父は字が下手な人でね。ある時から、近くの書の先生に習い始めたの。そのうちにちゃんと見られる字になって、襖に書くまでになった」と。しばらく間をおいて「母はそういう習い事をすることがなかった」と。。。

「でも、おばあちゃんは縫い物をしていたよね」と私。
母が「洗い張りって、知ってる?」「知ってる」
「母は私たちの使った着物が汚れたり小さくなると、全部、ほどいて洗って伸子ばりで張って乾かして、もう一度、丈を直して縫い直していたのよ」

そうなんだ!そういう時代があったのだ。
私の母は93才、祖母のその話は80年前の話であろう。とても趣味の習い事なんて時代ではなかったような。今とはずいぶん違う。。。

祖父は田舎の医者だったけど、その昔、盆暮れにしか治療費を払ってもらえず、祖母が縫い物をして家計を支えたと聞いている。私が覚えている祖母はそういう時を超えて、のんびりとひなが一日、あれこれ縫い物をしていた。

母が「私が小さい頃のこと。私がいなくなったことがあったそうで、みんなであちこち探しても見つからず。。兄が塀の上にのって、私がひとりで帰ってくるのを見つけた。」と急に言う。「そうなの。覚えているの?」遠くを見つめるように「その頃の景色を覚えている。」と母は言う。描くことができれば、それは鮮明に描けそうな雰囲気が伝わってきた。

その後、最近のことを少し話題にする。
隣の方は相変わらず、立ち上がって、おじぎをされている。

と、母との会話が途切れて。。。

母が「お母さんは着物をほどいて、洗い張りをして。。。」あら、また元に戻った。
母は子どもの頃に戻っていっている。祖父と祖母の子どもだった頃に。

まるでそれを察したように、母が「どんどん子どもに近くなっていくのよね」って。
これが歳をとるってこと。なのかな。

ふたりで

この前の日曜日のこと、三才になる孫と電車に乗りに行きました。

最近、電車の名前を覚えて、電車の絵本を読んだり見たり、時には絵本をまねて、おもちゃの電車で再現したりするのを楽しむようになりました。でも少し攻撃的かな?脱線している。

これは切り替えが必要かもしれない。ということで本物に会いに行くことにしました。

お弁当を作って、二人でお出かけです。まずはバスに乗って。

次は東海道線に。窓からは電車や新幹線がすれ違います。

窓の外も飽きてきて、こんどは車掌さんの動きが気になります。でも小さな彼には車掌さんが何をしているのかは分からないのです。ドアの開閉もアナウンスも車掌さんとはつながらないのです。そういうことなんだと私の方が納得でした。

だんだんつまらなくなって、停まる度に降りようと言う。新幹線が停まる駅で降りて、新幹線のホームに行く。停車した新幹線、見つめる目が違う。。

名古屋駅。次は特急を見よう!「しなの」「セントラルライナー」キョロキョロ。

さーて、そろそろ名鉄のパノラマカーに乗って帰ろうか。昔は赤い車両7000系だったけど、今は素敵な車両2300系、けどミュージックホーンは同じなんだ。乗ってしばらく、疲れてダウン!じつは私もです。

やはり格好いいね。彼がずっとミュースカイと言っていたような・・・

それから東海道線で帰ってきました。

彼の背中はなんとなく満足感が。。少しお兄ちゃんになったかな。いい日だった。

冬の中田島砂丘

最近、自転車に乗ると、以前よりも軽快に走っているように思える。今日(昨日)は風もなく、暖かかった。午後、駅の方に出かけた。風をきって走るのがなんとも心地よい。用事をすませたら、少し長い距離を走ってみたいと思った。

すでに15時をまわってしまったけど、やはり走ろう!
この感覚は体育会系かも、なんてつぶやきながら、中田島砂丘を目指す。この道は車が引っきりなしに通るから、避けたいのだが。。若者が追い越して行く。急がず、ゆっくりと行こうと自分に言い聞かせて。

前の時は今日に比べると身体が重かった。あの時はやはり病気が完治してなかったのだと今、思う。こんなに軽くこぐことができる、と思うと自然に顔がほころんでくる。鼻歌を歌いたい気分だ!

所要時間20分?砂丘の入り口に到着。誰もいない!自転車を止めて、海の方を見るが、人の気配なし。とにかく海に向かって歩こう。いやに静か!うーん?

砂丘の入り口から海までは5分では行けない。さすがに自転車を20分ほど、こぎ続けた後なので砂丘に足をとられる。誰もいないのはコワいけど、ここまで来たら、海を見ないと帰れないという気持ちになっている。

着いた!静かな波だ。それにしても誰もいない。ここでパニック状態。なんて臆病なわたし。
すぐに引き返す。。。

戻ると犬の散歩の人が砂丘に入ってこられる。そしてすぐ後から2人、海に向かって進んでいく。よし!ちょっと休んで私も、もう一度行ってみよう。

今度は不安もなく、周りを写す余裕がある。新しく作られた堰砂垣が美しい。

離れた海辺で人が波と遊んでいる。

このいくつもの足跡。
で、足下を見ると。。。

風化していない新しい靴跡が。

これはさっきの散歩中の犬かしら?
足跡が風化されないで。。ということは今日、意外と多くの人が訪れていたのでした。

で、今日の記念に。私の足跡はこれ!

そして目は足跡のない波紋を捉える、よく見ると!丸い石ばかり。

自然が織りなす造形!

波紋の中に石があることで生まれる微妙。

こころにくい自然の造形美!

海が運んできたものが白く風化して存在していたり、こんな場所なのに植物が根を張っていたりする。中田島砂丘にはまだまだ思いがけない発見がありそう。

時間を忘れてじっくりと浸った一時間でした。
そして一人よりも複数いる方が落ち着く一時間でもありました。

帰りは車がそんなに走らない道を見つけて、快適に飛ばしました。
自転車で走るのは楽しい!

いつもは夜更かしの私が早めに寝てしまいました。健康的だこと!

愛車で

今日の浜松は晴天!

こんな日は自転車で動くのが早くて楽しい。
ということで私の愛車。

乗る時の必需品。
左から、リュック、上から簡易ヘルメット、帽子、耳あて、その隣は手袋。

ヘルメットを装着するとあまりにもサイクリングのようで。。。
で、最近、帽子にかぶせるタイプにしています。
この自転車には買い物をした後で入れるカゴがついてないために、この大きめのリュックが役に立ちます。野菜や魚、パンなど、もろもろを背負っても自転車なので腰に負担がないのがなによりです。

ということでこんな風に走ってます。今朝はリュックなしでした。

中田島砂丘

浜松に来てから、3年は過ぎたと思うのだけど、一度も浜松の海に行ってないので、昨日の暖かさに海に向かって自転車で出かけました。とにかく南下すれば辿り着くということで。。。道路標識に中田島砂丘と書いてある。そこに行こう!

最初は意気込んで出かけたけど、主要道路を走るので自転車は歩道やら狭い自転車専用道を走らないと行けない。アップダウンが激しくて、お尻が痛いのなんのって。。。

その上、風がどんどん強くなってきた。「浜松まつり会館」の手前の橋では吹き飛ばされそうになる。おお!なんということ!

さて砂丘の前に着きました。

自転車を松の木に預けて、早速、砂丘に。

海は見えないではないか。まだ先なんだと人が行く方向に進む。

いいね〜。

突然、姿を見せた海は。。

近づくと。。

後ろに引いてしまう。

人を寄せ付けない、近寄りがたい風景でした。

波の音、風の声、砂が走る。砂が当たると痛い!怖くて身が引ける。山陰海岸の海も冬は荒れるけど、こんなに間近で対すると声にならない恐怖を感じました。

近くにゴミの容器があった。これはどこから流れてきたのだろう?但馬の海岸には他の国からの漂流物が大小様々、流れ着くが、ここには生活を感じられるものはこれだけだった。風が強くて遠くに飛んでいってしまうのかなあ?

帰り道、後ろをふりかえると陽が沈みはじめてました。

母さんは

この3週間、腰痛で車を運転するのをできるだけ控えていると、なかなか母のところへ行けなくて。。。行けないまま、いつのまにか日が経ってしまった。悲しい顔をしているかなあって、気にしてましたが、オットどっこい!母はすっかり元気になったらしい。

ケアセンターがとても気に入ってずっとこのまま居ると決めたらしい。楽しく暮らしていると弟から電話があった。ふふっ、彼女の切り替えの早さを忘れていました。そうよ!断ち切りが早いというか、いつも見事だったっけ。

変わらんなあとほっとしました。

自分用のテレビが入り、好きな野球観戦ができれば、何も要らないんだろうと思う。そう言っているらしい。物にも人にも執着しない彼女らしい。まあまあ良かった。

親子なので似ていることもあるけど。。私の方が長く悩む。。。^^;

雲と空

『のんちゃん雲に乗る』という童話、母が読み聞かせてくれた本をふと思い出した。遠い昔のことです。この9階の家に住むようになって、雲がとても身近に感じるようになりました。窓の外を見ると空が広がってます。

私がいつも座っている場所から、今日はこんな夕日でした。

ベランダからはこんな風でした。

穏やかな空でした。

10月の初めのある夕方はこんなでした。

二年前の10月にはこんな日もありました。

同じ日です。どんどん変化しました。

そんな夕暮れ、時間を忘れて見ている時があります。

明日はこんな空だと良いです。

捨てる話

この頃、家の中の整理をしている。兵庫県の但馬地方から浜松に移って、浜松にいることが長くなって3年、こちらでの役目も終わって、そろそろ但馬に帰ろうと思っています。

たまたま千代里さんの『捨てれば入る福ふくそうじ』と近藤麻理恵さんの『人生がときめく片付けの魔法』を読み、そうか!掃除と捨てる作業はシンプル人生のはじまりかと。ときめきをポイントにする捨て方!でした。

が、まだまだ人生という道の先が続いている若いお二人とは少し違う。ある日、突然、その道の先が見え、限りある人生を実感した、その瞬間からの捨てる作業はもっと潔くないと。

長く生きたら、その分だけ、ものも増えます。けど、人生の最期は生まれた時と同じで何も持たずにこの世から消えていくわけです。それまでに自分のものは自分でお別れしないといけない。何も持たずに生まれてきたのだから、真っ白で良いと。

私の母は93歳になります。今は自室があるホームのケアセンターに居ます。自分の身の回りのことはできますが、夜中のトイレに行く時にぼおっとしていて、転んだりするので自室で一人で暮らすことはできないのです。けど、センターに居ると笑顔が暗い、時々、自分の部屋に帰ると別人のようにいい笑い顔になります。自分の居所って、過去に繋がる場であり、ほっとして存在を実感する場なんでしょうね。

良い笑顔でしょう。このままで居てほしいですが。。。母に内緒で公開!(後悔するかなあ?)

自分の家で家族が最期まで看取ってくれる人はそのまま幸せでしょう。けど、最期は病室だったり、施設だったりすることが普通なのかも。そんな時にボケてしまうと言いますね。

だからこそ自分のものや場に固執しないでお別れする必要があるとつくづく思います。捨てるということは心に残すことだと思ってます。その心に残したものも昇華させないと。。。真っ白になれたら、どこでも笑い顔でいられるように思うのです。

そんな終着点に向かって、捨てる作業してます。カチカチとこだわっているわけではなくて、楽しみながらですよ。なかなか捗らないけど。。。溜め込んでいたから。

それはけっして後ろ向きに生きることではなくて、どんどん前に進み、いろいろ吸収し人生を謳歌しながらです。ときめきながら、捨てていくんです!!

 

ぎっくり腰で

今日の浜松は快晴!

もう一週間も腰が痛くて、何もできない。
今日はすこし良くなったのでブログを進めようかと。

この一週間、何もしないで寝ていた。食事は簡単に作ったけど。食っちゃ寝で少し太ってきた。それだけが嬉しい結果である。

何にもしないって、ストレスにはならない。あれもこれもと手を出すクセが抑えられたのは私にとっては良いことなのだが。まったく、よく寝られるものだと感心しながら、寝るきゃないから。というよりも腰が痛いのに織りもできなければ、パソコンも打てない。

うーん|また痛くなった。このパソコンの姿勢が良くないのだろう。

ということで中断を余儀なく。。。

そして今日も暮れた。

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