四日目〜馬籠宿
今回の旅は中山道近くを走っている。私の育ったふるさと美濃太田も宿場町でした。木曽川が人々の行く手を遮り、川が荒れる時は足止めされ、参勤交代の大名が泊まる宿、本陣がありました。三日目の夕方、訪れた馬籠宿も峠越えの宿場でした。旧中山道なのです。峠を越えると妻恋宿につながっています。かなりの急斜面に建てられた宿場です。その道はあの和宮が輿入れした時に通った道なのです。その時に道幅が広げられたと案内所の方に聞きました。公家が通る道幅は決まっていたのだそうですよ。
ここには宿もあり、人々が暮らしていける集落があったのです。
今では考えられない急な坂道でさぞ不便だったのではと思うのですが。昔は峠が賑やかな場所だったのです。
江戸から明治にかけて、ここでは何度かの火災にあって、当時の本陣も残っていません。
強固に造られた玄武岩の石垣があるのみですが、本陣資料館には「大名の間」が当時の姿にほぼ忠実に再現されてます。
ここは島垣藤村が生まれ育った場所です。その藤村邸も火災で焼失してます。
今は生家のあった場所に藤村記念館が建てられてます。
入ると藤村の本が読みたくなりますよ。『夜明け前』は特に!!
馬籠宿を過ぎ、振り返ると向こうの山が見えました。
その先に進むと木曽の山々が見える高台に。晴れていると恵那山が見えるそうですが。。
この先は馬籠峠に続いています。ここから妻籠宿までは7,6kmです。バックパッカーの外国の人たちが進んで行きました。案内所で聞いたら、車を馬籠の駐車場に置いて、妻恋に着いたら、バスで帰ってくるという方法もあるらしいです。挑戦してみたいです。
私は朝のうちに馬籠宿をあちこち見て、次の場所、駒ヶ根に向かって車を走らせました。
三日目〜加子母
下呂を出ると向かったのは加子母でした。
伯父が亡くなって以来、生まれ故郷の加子母には行く機会がなく、当時、元気だった伯母に会いたいと思ってました。
ネット検索するとこれがヒットしました。
http://kashimozanmai.com/nikkei3.html
けど、今の河村医院には伯母の名前がないのです。91才ですから、もう現役ではないとは思ってましたが。。「とにかく会いたい」が今回の旅の目的のひとつでした。
河村医院の駐車場は空いてなくて、裏の自宅の方に回り、医院に電話しました。
伯母は元気でした。もちろん仕事は引退して、大好きな庭仕事に専念する日々を過ごしてました。10年前、伯母の先導で諏訪に行った時、そのスピードについていくのが大変だったことを思い出します。やはりさすがの伯母も車の運転は難しくなったようです。それで安心しましたが。
自宅の前に見える景色、子どもの頃はもっと広い場所に見えました。
着いたのが10時前、近くに住む従姉妹がやってきて、それから16時まで話が尽きなくて。。。
今は核家族化してしまって、小さなコミュニティになってしまった親族関係。
これからは会う機会を持とうと再開を約束して。。
中津川に向かう。
その夜、会う友人はNZ、オークランドの英語のスクールで知り合った人です。
同じクラスに入ってきたその人とは何とも不思議な縁でした。お互いの故郷が岐阜県、それも美濃太田と白川とは近い。白川郷ではなくて、白川口、白川、黒川、赤川なんて分るのは土地の人ではないと。。。そんなわけで、盛り上がって、いろいろと話し。。
で、彼女が彼女のお父さんに私のことを話したら、もしかして美濃太田の駅前の旧姓。。さんではないかと。。
そう!!え〜っ!
なんと私の母のところに働いていた人、それも母がよく佐見に行く!と言って楽しみにしていた人が彼女の家のお隣のおばさんでした。彼女のお父さんはそのおばさんから母の話を聞いていて、母に会ったことはないけど、知り合いみたいな。。。
日本ではなく、地球の裏側でたまたま出会った友人、とてもローカルな地域の不思議な縁でした。彼女とはNZの南島一周を一緒に旅するつもりでしたが、若者対象のツアーだと息子に止められてしまい。。。彼女はうんと若い!。。半年ぶりの再開でした。
ふたりで宿近くの馬籠宿に!
夕方だったので人気はなく静まりかえってました。
日が暮れる長い坂
一緒に夕食をいただきながら、つもる話に花が咲きました。南島の話などなど。やはり行かなくて良かったよ!って。若者でもかなりキツかったらしい。。でも楽しい話を!
8ヶ月前に初めて会ったのに不思議な縁ですっかり長年の知り合いになりました。
また会おうね!!
車でひとり旅
ひとりで旅行したいと以前から思っていました。
7月21日に母の一周忌が岐阜であるのでその週は車で移動しようと決めました。
私が育った家は母が手放してしまって、今は駐車場になってます。故郷の拠点がなくなって、15年になります。故郷には父と母が眠る墓があります。
家から岐阜まで行くのではなく、一日目は草津に泊まりました。
佐川美術館に行ってみたかったのです。この美術館には彫刻家、佐藤忠良の作品があるのです。若い頃、少しだけ彫塑を教わっていた時期がありました。佐藤忠良はその頃、知ったのです。その後、渋谷西武の井の頭道路沿いに佐藤忠良の作品が設置されて、その像は好きでした。そんなわけで、佐川美術館は一度は行きたい美術館だったのです。
佐川美術館は水が美しい美術館でした。
毎日の手入れが大変だろうと思ってしまいましたが。。。
よく手入れされて水が生きてました。
美術館は琵琶湖畔にあって、そこまでの道筋から見える琵琶湖は北陸側や大津から見る琵琶湖畔とは違う景色でした。休日を釣りで楽しむ人々で賑わう湖畔。時の流れがゆったりと。。。
もう一度、この湖畔には行ってみたいです。
二年ぶりの夏
昨年の7月に息子家族の住むNZのオークランドに発ち、途中で二度の短い帰国をしたけど、12月の始めまでNZに居ました。NZの季節は日本とは反対で冬から春だったのです。夏になる12月は日本の冬、帰ると寒くて、1,2月には雪が降りました。そして3月にまたNZに発ちました。
季節は秋、今度の家は木造で窓がきちんと閉まらないので、夜は寒いのなんのって。。
で、6月、陽が射せば暑いほどですが、毎日、スコールが来て風が強く荒れて寒い冬のNZを経験して、ビザが切れる6月始めに帰国しました。帰国した時はそれ以前の日本の季節外れの猛暑から、すこし落ち着いた時だったので身体も自然に順応しました。
というわけで夏を一年、飛ばしてしまいました。
今、二年ぶりの夏を体感してます。
今日はカラッとしているから、まだ過ごしやすいけど、豊岡38℃なんて気温が上がる日は体中から汗が吹き出しますね〜
日本の夏はどこに行っても緑が美しいですね。写真は岐阜城から長良川上流方面を。
公園で
イースター休日、今年は18日〜21日だった。小学校は25日のANZAC Dayも間にあって、18日から5月4日まで長い休暇となります。保育園は22日〜24日、28日からは普通にあるのですが。小学校に行ってる孫はスクールケア(学童保育)にお願いしました。もちろん土日と祭日はスクールケアも保育園もお休みです。
連休中、家で過ごしてすっかり飽きてしまった孫たち、21日は午後、公園に連れて行きました。Cornwall park!大きな公園ですが、遊んだのはほんの一角です。
三日間、外で遊べなかったから、よく遊ぶのなんのって…
大きな子も小さな子も一緒に遊ぶのはこの国では当たり前。
お互いにここで一緒になった知らない子たちなんだけど。
いつの間にか、仲間になってました。
こちらの子ども達はめいっぱい外で遊びます。子どもは身体を動かすのが大好きなんだとつくづく思います。5歳のうちの孫も筋肉質な硬い身体をしてます。良く食べ良く遊ぶ!昔の子供時代を思い出します。
3時間、みっちりと遊んで家路につきました。
私はクタクタでした。
手紙
日本から、手紙が届いた。久しぶりに読む手紙。
昨年、亡くなった友人を偲んで4月3日に昔の仕事仲間が集まったのですが、
私はニュージーランドに居て参加できなかったのです。企画した友人が写真
を同封してくれました。
もう45年ほど昔の仲間ですが、10年ほどの間隔で集まってます。
仲間と言っても私たちを導いてこられた先生と奥様、もう一人、小児精神
科医の先生、どちらも最も尊敬する方々です。も、参加されてます。遠い昔に
なりましたが、大学を卒業して初めて仕事をした場所でしたが、大切なこ
との基本を教えていただきました。そこは私にとっては学びの場でした。
偲ぶ会、写真の友人は凛として素敵でした。大学時代からの親しい友人でした。
うんと長い彼女との年月を思いだします。それなのに、私は彼女が病気になって
以来、いろんなことが重なって会うこともなく、彼女との最期のお別れにもニュ
ージーランドに居て、それを知った時、すでに一週間過ぎてました。
闘病は辛いけど、必ず治るって信じているの!と電話で話してくれた彼女だった。
写真の彼女はこちらをじっと見つめてます。ああ、会えないんだなあ!と思う。。
でも、そのうち私も行くからね!って、言える歳になった…思うのです。
もう一枚の写真は偲ぶ会に参加された全員が写っているものでした。
みんな「変わらないわね〜」と言いあったそうですが…
写真のみんなはすっかり歳を重ねてます。きっと実際に会ったら、声とか雰囲気とか、
醸し出すものが変わらないのでしょうね。
私も会いたかったです。私が日本に帰ったら、また集まりましょうと、
言って下さったみたいで…楽しみが増えましたが…
運転
こちらに来てから、四回しか運転していない。
先日、小学校に迎えに行ったのだが、うちを出てすぐに通りに入るのだけど。
前がパトカーだった。
オッと!緊張感。
ちょうど混む時間で少し行った先のラウンドアバウトまでがのろのろ運転、
ずっとパトカーについて行くしかない。初心者状態。。。
ラウンドアバウトを通過すると、すぐにパトカーは右手に。
やっと開放感!
けど、こんな短い距離で緊張して運転をするのは久しぶりだ。
いつだったか、代車がマニュアル・ミッション車しかなくて、仕方がなく運転したけど、
オートマチック車に慣れてしまっていたから、ほとんど初心者状態で…モタモタして、
後ろの車がイライラしてたのを思い出しました。
運転歴45年が泣きます!
こちらの人々の運転のマナーとか、普通のスピード、普通の感覚を知らないから、
安心して走れないのです。
いやいや考えたら、言葉の壁も変わらない。
何十年も日本語で聞き、話し、読み、書いてきた。
それだけでずっと日本ではまあまあ不自由なくやってこれた。
こちらで英語のスクールに通っても…
言葉を日本語変換していて、一向に英語の言葉にならない。
5歳の孫の学校での勉強…学校がネットでの勉強を奨励。
で、それを見ると単語はこんな言葉がすでに使われるのか!思う。
単語だけではなくて、文章になってる。あたりまえなんだけど。
カタコトで単語を羅列しても…ですよね〜
こちらに来て一年!言葉の獲得を英語で始めた3歳の孫は発音も素晴らしいけど。
単語だけではけっして話さない3歳と5歳の孫!
Can I have help me ?
Ok!
I’s broken here.
I’m …
I think …
I can …
I have …
I’s main.
簡単だけど、文章になっている。全く…私の良い先生なんです。(^-^)
算数は足し算、引き算ができないと学校では困ります。
5歳から小学校なので日本より一年早い!
それも5歳になった時点で小学校に行くのが普通なんです。
うちの孫は11月生まれで…ちょっと遅れて2月からでした。
けど…先に行くと日本の方が数学に強くなります。
?です。数学と算数は違うのかな?
アジア系の人は勉強熱心です!!(生き残る手段なのかも。)
こちらでも良い学校に行くためにその校区に引越す人が多い。
ただし、そんな場所は一等地なので値段が高いです。
お金と社会的な地位が高い…は正比例する
国でした。もしかしたら日本よりも…
なんてことを経験する毎日です!
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