ベガ

五日目〜駒ヶ根

駒ヶ根高原の朝、近くを散歩しました。ホテルの前の駒が池は改修中で水もなく、ただの工事現場になっていてがっかりでした。池を過ぎると大きな駐車場があって、登山姿の人たちがロープウエイ行きなどのバスを待っていました。駒ヶ根ロープウエイにも行きたいけど、そのつもりで来ていないので。。登山するには筋力が落ちてしまっているし。今度来る時はしっかりと鍛えてからと自分に言い聞かせて。

駐車場を過ぎて,先に進むと川の音が。。その太田切川に架かる「こまくさ橋」を渡る。
川で遊ぶ親子があんなに小さく。。大きな川だ!
前に来た時もこの場所ではないけど、橋から見下ろした。この辺りの谷は深く足がすくむ。その流れは速く、しかも川幅は大きい。それだから駒ヶ根は非常に魅力のある場所なのです。私は川に魅了されています。

駒ヶ根3

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川の近くに寄ってみる。水が透き徹ってきれい。

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私の育った美濃太田は木曽川が流れているが中流域だから水はこんなに澄んでいない。流れは早く深さもあるのだが川藻が石についていて滑る。鮎釣りには良いけど、こどもが遊ぶには本流ではない淀んだ場所しかない。

この水音がいい!何が釣れるのだろう?

その後、車を走らせて、光前寺に。

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光前寺内の庭を拝見する。
庭の奥にある森、ご神木のような木の周りから発する気が。。。恐い

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そして、ここは。。

駒ヶ根5

写真を撮ってもらった場所なのだが以前よりもなんとなく荒れているような。。
でも緑が美しい。

車

ということで記念撮影をしました。

さて、車が心配なので前の日にみてもらったガソリンスタンドへ。でもなんというスタンドか覚えていない。勘でナビを設定したのは良いけど、あてずっぽうなので、まるっきり違う道をかなり走ってしまった。途中で修正、ガソリンスタンドに着いたのはほぼ一時間後でした。タイヤの空気圧が変わらないのでそのまま、高速にのり、一路、岐阜に向かう。

この日の宿は岐阜。ほんとうは郡上踊りの郡上八幡に行きたかったのですが、この時期、宿を取ることは無理だったので諦めて岐阜市内にしました。今はもうなくなりましたが私の育った美濃太田もお盆は夜通し盆踊りをしたものです。郡上八幡と変わらなかったのです。で、行ってみたかったのですが。。

昔、岐阜市内の加納高校に通っていました。長良川は高校からは遠いのですが、岐阜城公園近くに図書室があり、夏休みによく行っていました。岐阜城はロープウェイではなく歩いて登ったりした懐かしい場所なんです。そこに向かいました。

四日目〜アクシデント

今回はこのBlogを作っていただいた「アトリエWebの森」のモモンガさんに教えていただきたいことがあって、駒ヶ根まで車を走らせてきました。

モモンガさんとの約束の時間には早かったので昼食を済ませようとモモンガさんお勧めの店に行く途中、行き過ぎてしまったのに気づいて、その次の道を左折しました。その道を左、左と左折すれば、行きたい道に行けるだろうと。。ところが走っても走っても左手は森のようで左折できないのです。

戻れば良いのだけど、もう少しもう少しと走ってしまって、やっと左折、けど何だかかなりローカルな狭い山道でした。それでも強引に進んで坂道を降りると少しは広めな道、そこを左折、もうどこを走っているのか分らない状態でしたが、ここで坂道を降りたら元の道に出ると確信し、左折しようとしたその時

突然、車体に衝撃があって、右のタイヤが脱輪したのです。なに?とドアを開けて、道路を見ると坂の右側、1m内側になぜか段差があったのです。暗くて気づかず。何?? でも落ちてしまったのでなんとか後ろのタイヤが落ちないように進むしかなくて。そろそろと左に動かし,その場を脱出しました。

あ〜あ!やっちゃた!!新車なのに。。。ガックリでした。
その日は水曜日、デーラーは休みなので連絡できず。。しばらく走って道の駅に入って昼食を取りました。食欲はかなり落ちてしまって「ざるそば」。でも信州はどこに入っても蕎麦は美味しいですね〜、少し気持ち元気になりました。

どうしよう?

とにかくモモンガさんのところに行って目的を済ませようと。
そんなこんなで気持ちバタバタと「アトリエWebの森」にお邪魔しました。
久々の再会!嬉しかったです。
Blogの疑問点をいろいろと教えていただいて納得しました。
そして、あっという間に時間が過ぎてしまいました。

その後、モモンガさんの知ってるガソリンスタンドに寄り、そこで車の状態を確認してもらいました。右側の当った車軸とポイールの内側にキズがありましたがその他は大丈夫でした。タイヤの内側にも小さなキズがありました。が、右左のタイヤの空気圧には異常がないから、走ることは可能だろうということでひとまず安心しました。

駒ヶ根のホテルにチェックイン後、ホテル近くのオズに!!
ここは以前、Blogの作品の写真を撮っていただいた折に連れて行ってもらったお店です。その時、まさか、モモンガさんのご主人、写真家宮崎学さんに撮っていただけるとは思ってなくて。。。美味しいだけでなく、そんなわけですごく感動しました。
その時はイカスミのパスタと石薪釜で焼いたピザをいただきました。

ので、ここも旅の目的でした。

オズ

gakuさんも森の仲間の方も来ていただいて、美味しくて楽しい時間でした!!
今回もイカスミパスタ、色の割にはあっさりと素材の味が生かされています。
石薪釜で焼くピザは生地が美味しくて、チーズはながく尾を引いて。。とにかくとにかく美味しいのです。

車のことを忘れてしまう時間でした。

四日目〜馬籠宿

今回の旅は中山道近くを走っている。私の育ったふるさと美濃太田も宿場町でした。木曽川が人々の行く手を遮り、川が荒れる時は足止めされ、参勤交代の大名が泊まる宿、本陣がありました。三日目の夕方、訪れた馬籠宿も峠越えの宿場でした。旧中山道なのです。峠を越えると妻恋宿につながっています。かなりの急斜面に建てられた宿場です。その道はあの和宮が輿入れした時に通った道なのです。その時に道幅が広げられたと案内所の方に聞きました。公家が通る道幅は決まっていたのだそうですよ。

馬籠宿3

馬籠宿4

ここには宿もあり、人々が暮らしていける集落があったのです。
今では考えられない急な坂道でさぞ不便だったのではと思うのですが。昔は峠が賑やかな場所だったのです。

馬籠宿5

馬籠宿6

江戸から明治にかけて、ここでは何度かの火災にあって、当時の本陣も残っていません。
強固に造られた玄武岩の石垣があるのみですが、本陣資料館には「大名の間」が当時の姿にほぼ忠実に再現されてます。

馬籠宿7

ここは島垣藤村が生まれ育った場所です。その藤村邸も火災で焼失してます。
今は生家のあった場所に藤村記念館が建てられてます。

入ると藤村の本が読みたくなりますよ。『夜明け前』は特に!!

馬籠宿8

馬籠宿を過ぎ、振り返ると向こうの山が見えました。
その先に進むと木曽の山々が見える高台に。晴れていると恵那山が見えるそうですが。。

馬籠宿10

この先は馬籠峠に続いています。ここから妻籠宿までは7,6kmです。バックパッカーの外国の人たちが進んで行きました。案内所で聞いたら、車を馬籠の駐車場に置いて、妻恋に着いたら、バスで帰ってくるという方法もあるらしいです。挑戦してみたいです。

馬籠宿9

私は朝のうちに馬籠宿をあちこち見て、次の場所、駒ヶ根に向かって車を走らせました。

三日目〜加子母

下呂を出ると向かったのは加子母でした。
伯父が亡くなって以来、生まれ故郷の加子母には行く機会がなく、当時、元気だった伯母に会いたいと思ってました。
ネット検索するとこれがヒットしました。
http://kashimozanmai.com/nikkei3.html

けど、今の河村医院には伯母の名前がないのです。91才ですから、もう現役ではないとは思ってましたが。。「とにかく会いたい」が今回の旅の目的のひとつでした。

河村医院の駐車場は空いてなくて、裏の自宅の方に回り、医院に電話しました。
伯母は元気でした。もちろん仕事は引退して、大好きな庭仕事に専念する日々を過ごしてました。10年前、伯母の先導で諏訪に行った時、そのスピードについていくのが大変だったことを思い出します。やはりさすがの伯母も車の運転は難しくなったようです。それで安心しましたが。

自宅の前に見える景色、子どもの頃はもっと広い場所に見えました。

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着いたのが10時前、近くに住む従姉妹がやってきて、それから16時まで話が尽きなくて。。。
今は核家族化してしまって、小さなコミュニティになってしまった親族関係。
これからは会う機会を持とうと再開を約束して。。

中津川に向かう。
その夜、会う友人はNZ、オークランドの英語のスクールで知り合った人です。
同じクラスに入ってきたその人とは何とも不思議な縁でした。お互いの故郷が岐阜県、それも美濃太田と白川とは近い。白川郷ではなくて、白川口、白川、黒川、赤川なんて分るのは土地の人ではないと。。。そんなわけで、盛り上がって、いろいろと話し。。

で、彼女が彼女のお父さんに私のことを話したら、もしかして美濃太田の駅前の旧姓。。さんではないかと。。
そう!!え〜っ!
なんと私の母のところに働いていた人、それも母がよく佐見に行く!と言って楽しみにしていた人が彼女の家のお隣のおばさんでした。彼女のお父さんはそのおばさんから母の話を聞いていて、母に会ったことはないけど、知り合いみたいな。。。

日本ではなく、地球の裏側でたまたま出会った友人、とてもローカルな地域の不思議な縁でした。彼女とはNZの南島一周を一緒に旅するつもりでしたが、若者対象のツアーだと息子に止められてしまい。。。彼女はうんと若い!。。半年ぶりの再開でした。

ふたりで宿近くの馬籠宿に!
夕方だったので人気はなく静まりかえってました。

馬籠2

日が暮れる長い坂

馬籠1

一緒に夕食をいただきながら、つもる話に花が咲きました。南島の話などなど。やはり行かなくて良かったよ!って。若者でもかなりキツかったらしい。。でも楽しい話を!

8ヶ月前に初めて会ったのに不思議な縁ですっかり長年の知り合いになりました。
また会おうね!!

ひとり旅〜二日目

二日目、故郷に向かう。
まあなんとか、母の法事を終えました。

”母を思う日”
90才代、元気だった頃の母

母1

時代を遡って、母を思い出す。。。80才代

母3

60才代後半の母と私

母と私

おかあさん!と言ってた頃の40才代の母

母2

20才の私に微笑む母と父

父と母

いつだって”笑顔”の母でした!!

その夜は下呂に泊まりました。下呂は子どもの頃、駅と益田川が思い出の場所でした。今回はその河原が見える宿に泊まり、窓から鉄橋を走る列車を見ることができました。

下呂

車でひとり旅

ひとりで旅行したいと以前から思っていました。
7月21日に母の一周忌が岐阜であるのでその週は車で移動しようと決めました。
私が育った家は母が手放してしまって、今は駐車場になってます。故郷の拠点がなくなって、15年になります。故郷には父と母が眠る墓があります。

家から岐阜まで行くのではなく、一日目は草津に泊まりました。
佐川美術館に行ってみたかったのです。この美術館には彫刻家、佐藤忠良の作品があるのです。若い頃、少しだけ彫塑を教わっていた時期がありました。佐藤忠良はその頃、知ったのです。その後、渋谷西武の井の頭道路沿いに佐藤忠良の作品が設置されて、その像は好きでした。そんなわけで、佐川美術館は一度は行きたい美術館だったのです。

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佐川美術館は水が美しい美術館でした。
毎日の手入れが大変だろうと思ってしまいましたが。。。
よく手入れされて水が生きてました。

佐川美術館2

美術館は琵琶湖畔にあって、そこまでの道筋から見える琵琶湖は北陸側や大津から見る琵琶湖畔とは違う景色でした。休日を釣りで楽しむ人々で賑わう湖畔。時の流れがゆったりと。。。

琵琶湖畔1

琵琶湖畔2

もう一度、この湖畔には行ってみたいです。

二年ぶりの夏

昨年の7月に息子家族の住むNZのオークランドに発ち、途中で二度の短い帰国をしたけど、12月の始めまでNZに居ました。NZの季節は日本とは反対で冬から春だったのです。夏になる12月は日本の冬、帰ると寒くて、1,2月には雪が降りました。そして3月にまたNZに発ちました。

季節は秋、今度の家は木造で窓がきちんと閉まらないので、夜は寒いのなんのって。。

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で、6月、陽が射せば暑いほどですが、毎日、スコールが来て風が強く荒れて寒い冬のNZを経験して、ビザが切れる6月始めに帰国しました。帰国した時はそれ以前の日本の季節外れの猛暑から、すこし落ち着いた時だったので身体も自然に順応しました。

というわけで夏を一年、飛ばしてしまいました。
今、二年ぶりの夏を体感してます。

今日はカラッとしているから、まだ過ごしやすいけど、豊岡38℃なんて気温が上がる日は体中から汗が吹き出しますね〜

日本の夏はどこに行っても緑が美しいですね。写真は岐阜城から長良川上流方面を。

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土用干し

初めて梅干し作りに挑戦しました。
土用に入って毎日、暑い日が続いて、いよいよ梅を干す時が来ていたのですが
先週はひとり旅していて、留守だったので。。。

今日、やっと干せました。少しだけなんですが一応、梅干になりそうです。

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公園で

イースター休日、今年は18日〜21日だった。小学校は25日のANZAC Dayも間にあって、18日から5月4日まで長い休暇となります。保育園は22日〜24日、28日からは普通にあるのですが。小学校に行ってる孫はスクールケア(学童保育)にお願いしました。もちろん土日と祭日はスクールケアも保育園もお休みです。

連休中、家で過ごしてすっかり飽きてしまった孫たち、21日は午後、公園に連れて行きました。Cornwall park!大きな公園ですが、遊んだのはほんの一角です。
三日間、外で遊べなかったから、よく遊ぶのなんのって…

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大きな子も小さな子も一緒に遊ぶのはこの国では当たり前。
お互いにここで一緒になった知らない子たちなんだけど。
いつの間にか、仲間になってました。

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こちらの子ども達はめいっぱい外で遊びます。子どもは身体を動かすのが大好きなんだとつくづく思います。5歳のうちの孫も筋肉質な硬い身体をしてます。良く食べ良く遊ぶ!昔の子供時代を思い出します。

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3時間、みっちりと遊んで家路につきました。
私はクタクタでした。

手紙

日本から、手紙が届いた。久しぶりに読む手紙。
昨年、亡くなった友人を偲んで4月3日に昔の仕事仲間が集まったのですが、
私はニュージーランドに居て参加できなかったのです。企画した友人が写真
を同封してくれました。

もう45年ほど昔の仲間ですが、10年ほどの間隔で集まってます。

仲間と言っても私たちを導いてこられた先生と奥様、もう一人、小児精神
科医の先生、どちらも最も尊敬する方々です。も、参加されてます。遠い昔に
なりましたが、大学を卒業して初めて仕事をした場所でしたが、大切なこ
との基本を教えていただきました。そこは私にとっては学びの場でした。

偲ぶ会、写真の友人は凛として素敵でした。大学時代からの親しい友人でした。
うんと長い彼女との年月を思いだします。それなのに、私は彼女が病気になって
以来、いろんなことが重なって会うこともなく、彼女との最期のお別れにもニュ
ージーランドに居て、それを知った時、すでに一週間過ぎてました。

闘病は辛いけど、必ず治るって信じているの!と電話で話してくれた彼女だった。

写真の彼女はこちらをじっと見つめてます。ああ、会えないんだなあ!と思う。。
でも、そのうち私も行くからね!って、言える歳になった…思うのです。

もう一枚の写真は偲ぶ会に参加された全員が写っているものでした。
みんな「変わらないわね〜」と言いあったそうですが…
写真のみんなはすっかり歳を重ねてます。きっと実際に会ったら、声とか雰囲気とか、
醸し出すものが変わらないのでしょうね。

私も会いたかったです。私が日本に帰ったら、また集まりましょうと、
言って下さったみたいで…楽しみが増えましたが…

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