すっかりご無沙汰です!
いつからブログ、書いてないのかな? う〜ん!!3ヶ月も空いてしまいました。
すごく忙しかったわけでもなく、病気になったわけでもなく、時間が取れなかったわけでもなく、ただダラダラと過ごしてしまっただけで・・・
その間に鳥見を怠っていたなんてこともなく、川や野鳥園に行って、カモ見は毎日2時間は続けてました。
そして満80歳を迎えました。誕生日にはそれを祝って、一人で但馬の温泉三昧をしました。でも友人ご夫婦が付き合ってくれるという嬉しい夕食になり、とても幸せでした。
当日ではなかったけど、長男家族が神戸にある温泉ホテルで傘寿の祝いをしてくれました。それはとてもとても嬉しい日でした。
で、これからもまだまだ元気でいられそうだし、老後を楽しむというのではなく、全く新しいスタート台に立って未知の世界を切り開いていきたい!と思い立った日でした。これから、もしかしたら20年もあるかもと考えると、時間はたくさんあるんだもの・・・いつもワクワク、ドキドキしていきたいです。
老害の人・・・
久々、本屋に立ち寄って、この本を手にした。老害か!まさに見につまされるような言葉ではないかと買った。著者は内館牧子、彼女の本は幾冊か読んだ。面白いと思ってる。
現役時代の自慢話を誰彼ともなく、とめどなく話す人、素人俳句に下手な絵をそえた句集を配る夫婦、今に死ぬと言い続ける人、元なになにと書いた名刺を見せる人などなど、つきあう人には老害でしかないのだけど・・
そんな人たちが周りを振りまわす状況、どこに落とし所があるのか、一気に読みました。まあ、そういくのね!と・・
今年、80代にはいる私としては他人事ではないわ。と思いながら、けどまだそこまでは行ってないよねと言い聞かせて・・けど、そうでもないか!とか・・
日々、忘れっぽくなっていく。これは事実だしなあ。でも、この頃、気づいたことがある。歳だから、もう出来ないと思って、楽することに移行すると確実に出来なくなっていくということ。コロナ禍で人と会うとか避けて、人混みではなく人がいない道を散歩するようになって、足腰が強くなった。
今、階段が多い街に居ることが多くなって、階段の上り下りに抵抗を感じなくなり、実に楽になった。そうか!避けていたから、出来なくなっていたのだと。
頭もそうかも。使わないとまずい。忘れっぽくならないように気をつけないと。で、何をすれば良いのか、思いつかないのだけど。私の場合、人と関わることを避けているのがまずいのかも。
ということで違う環境での新しい試みをしようかと目論んでいる。とにかく過去とさよならして、どんなところでも良いから新しいことを学ぶ。それが老害を撒き散らかす歯止めになるような・・本の顛末とは違うけどね。
これは!!
夕方の散歩、いつものように橋を渡って右に、するとエンジン音がしている。うん!稲刈り機の姿はないし、何の音なんだろうと思いながら歩いて行くと、現れたのはこれ!
ドローン!だ。かなりの大きさじゃないの。
噴霧している。そうか!農薬散布用のドローンだ。けど、散歩道に近いじゃないの。3mも離れてない。農薬が・・・。気づいたのか、反対方向に移動した。このところ、畑を拡大してネギを植えてる若い農業家さん達だった。
確かに防護服を着て、背中に農薬噴霧器を背負っての作業は重労働だし、薬から逃れられない、これは良いと思う。でも、このドローンはたぶん16kgほどの重さで大きさは1mと少しだと思われる。5ℓの散布液を入れるとかなりになる。何かの原因で急に落下することもある。
一人で操縦するのではなく、ドローンの近くで周りの状況を把握して操縦者に伝える人がいると思いました。事故が起こらないように。(この時ももう一人の方がいましたが・・・)
45分後、まだ散布してました。
この頃は
いつまでも暑い日が続きますね。最近、クーラーをつける時間が長くなってます。その上、私は家の中でボォっーと過ごしている方が多くなってて…
久々、機に糸を張って、織っていますが、なんとなく低迷気味です。それでも、そういうことなのか!という発見もあるので良しとしましょう。
夕方になると車で散歩道まで行くのは変わらないのですが、暑さを逃れるために、出かける時間が遅くなってます。
それは他の散歩仲間を同じです。さてさて昨日の散歩中の会話ですが、「この頃、カルガモも大きな鯉も川にいなくなったね」という会話でした。そうそう、亀も減ってます。
河川敷は草が異常に増えて、いわゆる河原は消えてしまいました。中洲も草地になってしまい、石や岩がある場所では夕立などで水量が増えると水の上に出ている石が少なく、カルガモは時にこんな過密状態で身を寄せ合ってます。
日本のあちこちで線状降水帯による激しい雨が降って、洪水が増えてて河川周辺はとんでもないことになってますね。悲しいことです。
こちらでは線状降水帯による雨は避けられてますが、昨年のような大雨で河川敷まで水に浸かることはないので逆に雑草がどんどん範囲を増やしていて、石がある河原は全くなくなりました。その勢いは凄まじく、草刈りが間に合いません。
この中洲には1ヶ月前には石ばかりでしたが、今は草に覆われてます。
このカルガモ達は上の写真の中洲の向こう側にいたのですが、草地には入ってません。
こういった環境の変化がこの初夏から真夏の生き物が著しく減っている原因なのでしょうか??
最近のカルガモは人が立ち止まって川を見るだけで移動する態勢に入ります。明らかに人を避けてます。それでもこの川で育ったカルガモも多いですから、ここに帰ってくるのです。ふるさとですからね〜
9月の中頃には他のカモが飛来してきます。昨年は多かったですが、この状況でどうなるのか?気になります。
音楽を聴きながら
下瞼の痙攣は一日、休んだら、治った。これからはパソコンでブログを書く時間は短くしようと思ってます。
休んでいる間、織の試織してた布を見ながら、いよいよ本格的に織る作業に入ってます。経糸は6mで織り機にセットするのに一人でするのはなかなか大変ですが・・・昨日は途中で機草が足りなくなってしまいました。ひとまず休んで。。
で、部屋を見渡すと本が散乱してる。うーん!なんとか整理しようと・・前に一度、かなり減らしたのだけど、まだまだ読まないし、これから読むことがなさそうな本は処分して軽くしようと!
ひとまず一階の本棚にある本を整理、織り関係の本を中心にして、植物、鳥、生き物という・・・今回、大きく減らしたのは料理の本、昔、子どもたちが成長する時に使っていた古い本を処分、今は私だけの食事を作ることが多いので・・
そんなこんなで時間が過ぎていく。夕方になって、少しだけ散歩、この数ヶ月、全く姿がなかった場所にカルガモが戻っていることを確認して、ほっとして帰る。
さあ、今日は経糸を機にセット終了して、織り始めよう!!
予定表から見えたこと
私が使っている最初のiPhoneを買ったのは2007年だったようで、今はiPhone12ですが、その「カレンダー」に書かれた予定は2009年の4月から始まっているのをつい最近、知りました。健康ハイキングについて、過去を繰っていくと2010年の5月も6月も10月も参加してました。見直すと写真も残っています。あらら!でした。けど、11月、12月は休んだようです。
その翌年、2011年も健康ハイキングは開催されていて、私は残念なことに参加してません。その頃は織りの仲間との作品展の準備で織ることに集中する日々でした。20012年には浜松の健康ハイキングは終わり、私は1月2月と豊橋での歩く会に参加予定にしてますが、その前に体験参加したことがあり、豊橋の街の中の名所を知るという歩く会だったので、あまり興味が湧かなくて、その会に入るのをやめたのでした。
昔のことは詳細に覚えていないもので、それが平和で良いとも思いました。この10年の間にいろいろなことを体験しました。言葉もわからないのに海外暮らし、日本とは全く違う環境の中で、徐々にその地に慣れていき、言葉が通じなくても意思の疎通ができることもあって、つまんない日々ではなかったです。
このところ、毎日、暑い日が続いていて、散歩は夕方からになってます。この前、歩くときに2回吸って、2回吐くと書いたけど、最近、実際にはそうしてないので、じゃあ!と、2、2で始めたのですが、段々、4回吸って、長く1回吐くになりました。呼吸をそうすると腹筋が鍛えられるのか、歩きが楽でした。
18時に歩き始め、往復5km、帰る頃には暗くなって、誰もいなくて・・・カルガモも確認できず、怖いだけでした。できれば4kmほど、歩きたいので、5時半、始まりかなと思ってます。
青春などとは言わないが・・
このところ外は暑いので家の中で織りを始める準備をしている。この家に帰ってきてから、少しは織ってみたけど、片手間仕事だったことを反省し、今一度、スタートラインに立ち、まずは簡単なことから始めようと小さな木枠で試織をくり返している。が、なかなか思うようなデザインにならない。
木枠での試織も限界となり、織り機での試織に。私の織り関係の道具や糸は隣の建物の中にあるので使う糸を探しに行く。
昔、有床診療所だった個室の部屋には私一人では捌けないであろう糸がある。絹、ウール、綿、麻、その他の変わり糸などなど。中には精錬すること自体がかなり難しい糸も多い。染めた絹、ウール、綿と麻、よくもこんなに染めたものだと我ながら感心する。
染めたウールはタペストリーを織るため、緑色だけで何種類もある。こんなに要るのか?と思う。でも最近になって、織りたいデザインの構図が頭に浮かぶようになってきたので使えるだろう。まずはデッサンから始めないと・・デッサンといえば・・
つい最近、孫娘の誕生日だった。何をプレゼントしようかと思って・・そういえば隣に住む孫がいつも絵を描いてプレゼントしてくれるのを思い出して、写真を見ながら、半日かけて孫娘を鉛筆画で描いた。写真を見ながら描くのもかなり難しいものである。で、送ると絵が届いたと、とても喜んでくれた。おかげで私は充実した気持ちを味わった。描くって、面白いものだとつくづく思う。
最近、やりたいことが満載で時間がないのに、ゴロゴロしてる時間も多々あって、、まあ無理しないで出来ることからぼちぼちと確実に!を念頭においてやっていきたいと思っている。
でもでも、そう思うとやはりワクワクするので青春!・・いやいや青臭くはなく紺色、春ではなく、灼熱の夏ほどの情熱もなく、落ち葉の前の秋かな。
ブログを書くこと
こうしてブログを書くのは何だろう?このブログを読む人がいるのかどうか全くわからないけど、私はこんなことを見たよ!とか、こんなことを思ったりしてる!ってことを誰かに話したいから書いているのだろうか?
そういう思いは確かにあるけど。かといって、FBのようにいいね!は要らないと思っている。
思っていることを知ってもらいたいというより・・・書き出す時にテーマは確かにあるのだけど、書いているうちに、ああ、そういうことが言いたかったんだと気づくことが多々ある。書くことで自分の興味や考え方を認識する面白さなのかもしれない。とにかく自分を納得させるために書いているのだろう。
それでも他の誰かが読むことも期待しているのは間違いない。見えない相手があってこそ、公開している意味があるのだから。
日記のようで日記ではない。自分だけの日記だったら、思っていることを何でも書いてしまうだろうから、読まれても困らないし、読まれることを意識している。そういう文集になっている。
書くことが好きなんだと思う。絵を描くよりも自由に自分の思いを表現できるから。
かって京都造形大で学んでいた頃、最もわからなかったこと「表現すること」。写生は描けるけど、自分の作品は描けない。わからない!今でもそう思っている私がいる。
だが、こうして思っていることを書くのは何の抵抗もない。書き初めにはそう思ってなくても書き出すと解ることがある、最初とは違ってくることもある、その方が多い。書くことで解ってきて益々、面白くなる。
コメント欄もないので他の人の意見も聞かないけど、表立ってこうして書くことは自分の思いや考えを伝えるだけでなく、客観的に自分を総括しているのかもしれない。
だから私はブログを書いているのだろう?!・・・
歳を重ねると・・・
このコロナ禍で周りに住む高齢の方々が歩く時、歩行器に頼られる状態が増えたのを感じます。外に出ない!家に篭ってしまう!などが続いて、その前まではグランドゴルフに興じていた人が杖がないと歩けないと言われたり、とうとう入院してしまう方もあったりします。
昔と違って、家事はとても便利になり、どうかすると自動で掃除までしてくれるようになったのが足腰の筋肉を落としてしまう結果になっていると思うのです。
ということで私は出来るだけ無理なく筋トレできるようにと散歩を始めたのです。で、川の中にいるカモに目が行き、散歩が主か、鳥見が主かとなってしまいました。遠いところまで行くには自転車を使い、歩きは5kmほど、自転車では走行距離15km以上になります。
そんな日々が一年、続くと腰が痛いとかがほとんどなくなりました。時には湿布を貼ったり、軽い痛み止めを飲むこともありますが、単なる筋肉痛なので大丈夫だと思ってます。
私も5月には79歳になります。寿命が伸びた時代、出来るだけ元気でいたい。すぐに衰える筋肉を保つには使うしかないと思ってます。
ただ筋トレするだけでは続かない。楽しみを見つけながら鍛えることが大事なんだと思ってます。日々、体力だけでなく、記録力、判断力も衰えていってます。そのスピードを遅らせる努力がいるんだと自覚する日々です。
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