ベガ

洪水で・・・

 私は飛騨の山奥で生まれ、木曽川のほとりで育った。木曽川の中流域にあたり、普段の川幅は300mほど、河原はかなり広く、丸くなった石ころがゴロゴロと続き、場所によっては大きな岩もある。小学校の帰りはいつも河原で遊んでから家に向かう日々でした。夏になると川遊びをしたものです。当時はプールはなかったので泳ぐのは木曽川でした。流れが早くて、泳ぐ練習にはならなかった。

 大雨が降ると河原は全く見えなくなり、川幅はいつもの二倍に広がって、上流から大きな流木が流れてくる。その光景は毎年、当たり前のことでした。今では考えられないけど、雨が収まると川を見に行ったものです。流れてくる流木をうまく引き上げる人もいて・・自然に生え折れた流木ではなく、加工した材木なので引き上げれば、売れるからだ。今では考えられない話である。

 この場所はたぶん、川沿いのお寺の境内だと思われる。河川敷よりも数m上になる。水に漬かってる木々は下にある遊歩道に生えている。写真は白黒なので昭和30年代ではないかと↓

 この時、川からの水があふれ流れている道路もありました。川が大きく蛇行する場所、そこは少し低くなっていて、毎年のように水に浸かるのです。

 1983年9月28日、木曽川は台風10号による観測史上最大の洪水でこの町の中心街を一瞬のうちにのみ込んだのです。実家は川から1㎞以上、離れた場所にありました。実家のすぐ下の家の一階は水に浸かったのです。そこよりも1m以上、高かった実家は免れました。その後、町で店を出していた人々は閉店を余儀なくされたり、夜逃げをしたりと、人の人生を狂わせる大きな災害でした。

 それから10年ほどして、久々に実家に帰り、木曽川に行きました。川は何事もなかった風にとうとうと流れてました。

 がしかし、下まで降りるには、こんな急な階段でした。こんなに高くて頑丈な護岸工事をしないと濁流と化した水を避けることは出来ないのだと思ったものです。

 テレビに映る濁流と化した川の勢いを見て、温暖化で大きく変化していく自然災害の怖さ、決して人ごとではない。新型コロナにしても・・・たぶん、人がいきすぎてしまったツケなのだろうと。。。

雨の日

 雨が九州を直撃、24時間に400mm以上も降り続いたために河川の反乱が相次いでいる。命を脅かす危険な状況がTVで中継されている。被害を受けた人の今後を思うと・・・。新型コロナといい、豪雨といい、予想できない現象が起きる今、どう生きるかが問われていると思うこの頃。

 まだ自粛状態を続けてる今、外出は最小限に控えている。雨が降ると、いつもの散歩にも自転車に乗ることもできない。自ずと窓の外を見ることが楽しみになる。

庭の臼に落ちる雨。それを見るのが好き!

波紋が・・・

その隣にブルーベリー、もうすぐ黒くなる。鳥に注意!

水玉が・・・美しい!

庭を楽しむこと

 今朝はねむいような日、窓を開けると、トネリコの花が咲き始めたような・・

 庭師さんが花が咲き終わるまで選定するのは待ちましょうということで混み合ったままなのです。

 この花は高い場所で咲くのと陽の射す方向に向かうので花は全て外側にある。内側からは見えない。うーん!この木の選択が良かったのか?とふと考えてしまった。この写真も外からしか撮ることができない。

 庭を楽しむということをもう一度、考え直すことにしたい!

こんなにすっきりと

 医院の庭が出来てから、約12年になる。枝が広がり、上にのびて、大きな樹々になりました。今年はコロナの自粛で庭師さんが剪定できず、樹々の間は隙間がないほどに重なり合ってしまいました。陽が遮られ庭に明るさがなくなってしまいました。(5月下旬)

 二階の窓から見えるのはヤマボウシの花、モミジの花。これらは混みいった庭からは見えない。

 6月中旬、やっと庭師さんが剪定に。二日間、かけて、思いきった剪定でした。

 すっきりとしました。

 医院の中から上の写真を撮ったテラスが見えてます。

 そして小川のある風景

 せせらぎの音を感じるでしょうか?

 このブログでは医院の庭の話は2012年から始まります。http://yume-tsumugi.net/archives/837

 

えっ!老いが進んだの?

 何が起きたのか?痛みで目が覚めました。ベットから落ちたのです。右肩と左肩に激痛が!深夜3時30分過ぎでした。寝ついたのが1時過ぎだったので、たぶん熟睡している頃だったのでしょう。まさかの転落でした。

 43㎝くらいの高さから、無防備に落ちて、もろに床にあたったのです。。まるで物が落ちるように・・・クセで右肩を下にしてしまうので最初に右肩、くるりとまわって左肩という・・・

 それがショックでした。とうとう、そういう歳になったのか!と。そう思うとしばらく寝ることはできなく、もちろん痛い!でも腫れて来ないので骨折はしてないだろう?!とにかく家にあった鎮痛薬を飲んで。。。明け方になって、やっと少し寝ることができました。

 翌朝、整形外科を受診、骨折はなく、やはり打撲のみでした。食事をする時、噛むと痛いので、歯科を受診、「痛いでしょうけど、噛み合わせがずれてしまうから奥歯でゆっくりと噛んでください」と。

 あ〜あ、老化まっしぐらに進んでる!!100歳で亡くなった伯母が90歳代にベットから落ちて、腰を骨折、以後は車椅子の生活でした。今回、骨折がなくて良かったけど、こんなことが70代で起こる私は老化が早く進んでるのか?

 昨晩、ベットを見て、気づきました。あれ!ベットパットが・・・少し前に暑くなって夏用のベットパットに変えました。ずれ落ちているではありませんか。滑りやすい素材で作られてるので上のシーツが緩んでかなり下に落ちている。あっ!ベットパットをマットレスに固定してなく置いただけの状態だった。だから下にずれてしまって、体重がかかった時に止まらず滑るように落ちたんだと気づいたのです。パッドの素材が滑りやすい。これ!が原因でした。手抜きは良くないですね〜

 しっかりと四隅を固定!

 それでもベット下の床に座布団を敷きました。もしまた落下した時にショックが和らぐように。。(笑)

 身体の痛みは顎を除いて、かなり楽になりました。とんだ災難?でした。

 

孫たちの選択

 孫たちの学校は今日から夏季休暇に入りました。またしばらく但馬に来るのかと思ってましたが、彼らは神戸で過ごすことを選択しました。たぶんコロナによるここでの自粛暮らしがなかったら、ここに来る選択だったのではないかと思うのです。

 3月の最初の週末、彼らが通う学校は翌週から学校閉鎖を決めました。そこで彼らは但馬で過ごすことになりました。理由は平日の昼間にパパが居なくて、食事などに困るからです。

 そんなわけでここ但馬での日々がスタートしました。平日の午前中は学校とパソコンでの授業が9時〜11時半過ぎまであるので毎日、先生からの課題の勉強をしました。多岐にわたっての授業でした。解らないと質問し、先生がそれに応えるというものでした。

 Zoomを使って、先生とも友達とも話すことができるので貴重な時間でした。

 その後の昼食や夕食は一緒に作ることにしてました。彼らは料理をするのが大好きで積極的に手伝ってくれるので楽しく作ることができました。野菜を切ったり、フライパンで炒めたり、鍋で煮たり、鉄板でお好み焼きや肉や野菜を焼いたり、多岐にわたっての食事を作ったものです。

 我が家はIHなので火傷をしにくいので手伝いをしやすかったのです。もともと朝食でハムエッグを作るのが上手な孫なのでガスでも大丈夫なんですが、それでも火は危ないし、消した後に元栓を閉めるということは忘れやすいので気になる点でした。

 午後になるとそれぞれネットでのゲーム遊びなどに夢中になってしまうので、それらは時間制限し、外に散歩に行くとか、自転車で走り回るとか、ラグビーやサッカーボールで遊ぶことが多かったです。ボール遊びに関しては、最初のうちは中央文化公園に行ってましたが、中高生のサッカークラブなどと重なってしまうので行くのをやめました。

 サッカーはボールをかなり遠くまで蹴るので、互いに交差してしまうことが多く・・・

 ある日、近くの神社に行ってみると孫たちにはちょうど良い大きさだと気づいたのです。普段は老人たちのグラウンドゴルフに使われているのですが、コロナの自粛で休みになっているのが幸いでした。神社には他の子どもの姿はほとんどなく、こちらの孫も時々、加わって、独占状態でした。

 そんな暮らしを約3ヶ月、過ごしたのです。

 そして6月に入り、学校が再開して彼らは神戸に帰って行きました。最初は午後からの授業だったので家で昼食を自分たちで作り食べてから学校に行っていたようです。その後、普通の時間割に戻ってから、食堂のランチはなくお弁当が必要になりましたが、彼らは自分たちで作って持っていってました。

 そんなわけで食事に困らないのでこちらには来ないという選択になりました。10歳、12歳、成長しました。私はそのうち神戸に行くつもりです。

 

むし暑い日が続いて・・・

 

 擬宝珠

 梅雨に入り、いつもと比べるとなんとなく寝苦しい日々を過ごしている。暑くなったせいなのか?起きてもやる気が起きず、直ぐに横になって寝てしまう。こんなやる気がないのは珍しい。あら、鬱になっているような・・・

 で、ハッと気づいた。たぶん暑くなったこともあって、何時もに比べると、血圧が下がり過ぎために身体が休もうとしてるのだ!やる気まで失わせてると考えると合点がいった。

 もともと薬に敏感なところがあって、薬が合わないと二日目にはうつ状態になる傾向があることを忘れていた。クリニックに行って来ないと!!

卒業式

 6月26日は孫の卒業式でした。昨年の卒業式は学校から少し離れた大聖堂に卒業生、在校生、教師全員、卒業生、在校生の家族が集まり、聖歌隊が賛美歌を歌い送り出したのですが。

 今年はコロナの影響で式典はいつもとは大きく変わりました。参加するのは卒業生、関わりのある先生と、卒業生の家族二人まで、写真屋さんのみで、在校生、先生、他の家族や友人はネット配信のライブを見るという形でした。

 ということで但馬に居る私はライブ配信での参加となりました。子どもたちは大きく間隔を空けて入場、その後は両側の長椅子に一人づつ、父兄は同じ椅子に座ってました。

 ひとりひとり名前を呼ばれて、卒業証書を受け取りました。

 どんな時にも目一杯、楽しむ孫はいつもと変わらず、Good!!と指を立てて笑顔でした。 NZで5歳から小学生が始まったので今12歳です。イギリス系の学校は日本やアメリカの学校と比べると一年早いのです。

訪問者

 初夏になるとあちこちでトンボがスイスイと飛び交うようになります。シオカラトンボやオニヤンマはスピードがあって、止まっていても直ぐに飛んでいってしまう。

 この写真、どこにもトンボが写ってないのだけど、場所は東京国立博物館、昨年の夏、ここでシオカラトンボを見つけたのです。で、写真を撮ろうとしたけど、トンボは止まっては飛びを繰り返し、スイスイと飛んで行ってしまいました。その記憶のために残した写真です。

 月曜日、庭にトンボが訪れました。黒くて格好がいいトンボです。オオシオカラトンボだと思うのです。初めて見ました。かなり寄って写真を撮っても動きません。大物でした!

 下の写真はハグロトンボです。2014年8月、しばらくいました。ふわふわと飛ぶ様子が華麗でした。

 この小さな石うすがトンボを誘うのでしょうか。溜まってるのは雨水です。今日は雨が降りだして、水面が動いてます。それを見ているのが好きです。

明るい空間に

 庭の木が茂りすぎて、陽が入らない。コロナの影響で庭師さんがいつもの時期に作業できなかったから、狭い空間の中で木々も悲鳴を上げていた。びっしりと隙間がなく茂った葉のせいで下の木や草花には陽が当たらない。

 やっと庭師さんが剪定に!この際、ガレージ側に伸びようとしていた母と伯母の記念樹を切ることにした。伯母の「ハナミズキ」は今年、うどんこ病になってしまってる。それに花がかなり上で咲くので居間からは見えない。母が「しだれ桃」だと言って買ってきた木はなぜか一度も花が咲かないし、桃でもなさそう。ということで思いきって切ることにしました。「母と伯母を思う」http://yume-tsumugi.net/archives/3121

 母の「しだれ桃」は調べてみると「ミロバランスモモ」という名が付いた木だと知りました。ひと枝残したので、いつか咲くことを期待してます。

 そして庭師さんはバッサリと剪定、それによって、下にあったブルーベリーの木に日光があたって、暗かった空間は明るくなったのです。すっきり!!

 孫たちが収穫を楽しみにしてるので、どうぞたくさん実りますように!!去年は鳥に食べられてしまったので鳥対策を万全にしないと。