有子山城

 出石城の上に有子山城址があるのは今まで知らなかった。1574年、山名祐豊が築城した城で1580年に羽柴秀吉によって落城した。1604年には廃城になっている。20年間のみ、存在した城である。ここに行くのが今月の但馬学研究会の例会となった。

 有子山は(標高321m)下の地図に載っているように出石城よりもかなり上にあり、残っているのは石垣のみである。が、千畳敷などは山の頂上を平に削り、かなりの広さがある。ここではお茶会なども催されたようで、当時の器のかけらが出てくると言われる。

さて、どんな山道か、よく知らないままに出石城から続く遊歩道を登って行った。

案内人は豊岡市立歴史博物館の学芸員の中田さん。

 ところがすぐに初心者には厳しい急な坂道となる。これはかなり厳しいと判断したひとりが登るのを諦め車で向かうメンバーと合流。

このような岩場の横に作られた道、とても遊歩道とは言えない。急登!

どこまでも続く階段状の道。

やっと中間地点!ここからは平らな道となる。

千畳敷!杖が。。。

有子山には朴の木があちこちにある。この千畳敷の真ん中にある朴の葉がほしいT氏。

ほうば味噌!!美味しかったかな?

学芸員の中田さんの説明を主郭で聞く。

出石城下町を眼下に。出石川や谷山川は外堀の役目をしていたことや町並みから「総構え」の構造を持つことなどの話を聞く。

現在の出石城下町はその当時とはかなり変化しているが、その形跡は残っている。

 そうそう昼食を食べて、その場でゆっくりとしていると、登って来られた人が栃木から車で移動し全国の山城を登っていて、今日はここで三番目の城だと言われる。泊まりは道の駅で車に板を、その上に布団を敷いて寝ていると。今回は一ヶ月の予定とか。

 次に登って来られたご夫婦は京都の方で日本の城100選はすでに北海道から沖縄まで行き、今は城200選を挑戦中なんだそうです。こちらのご夫婦は温泉旅館に泊まるのが楽しみだとか。私たちが大変な思いをして登ってきた道を帰っていかれました。年金世代は元気です!!

 あの遊歩道を下るのは無理!と私は車に乗せてもらって下山した。この山道には許可がないと車では登れない。普通乗用車で、よくもこの悪路を登ってきたものだと思うほど、車での下山も緊張の連続だった。舗装のない石だらけの道、道幅が狭いだけでなく、急坂、180度のカーブと次々に来る難所、下まで降りた時には皆、歓声!だった。

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