冬の中田島砂丘
最近、自転車に乗ると、以前よりも軽快に走っているように思える。今日(昨日)は風もなく、暖かかった。午後、駅の方に出かけた。風をきって走るのがなんとも心地よい。用事をすませたら、少し長い距離を走ってみたいと思った。
すでに15時をまわってしまったけど、やはり走ろう!
この感覚は体育会系かも、なんてつぶやきながら、中田島砂丘を目指す。この道は車が引っきりなしに通るから、避けたいのだが。。若者が追い越して行く。急がず、ゆっくりと行こうと自分に言い聞かせて。
前の時は今日に比べると身体が重かった。あの時はやはり病気が完治してなかったのだと今、思う。こんなに軽くこぐことができる、と思うと自然に顔がほころんでくる。鼻歌を歌いたい気分だ!
所要時間20分?砂丘の入り口に到着。誰もいない!自転車を止めて、海の方を見るが、人の気配なし。とにかく海に向かって歩こう。いやに静か!うーん?
砂丘の入り口から海までは5分では行けない。さすがに自転車を20分ほど、こぎ続けた後なので砂丘に足をとられる。誰もいないのはコワいけど、ここまで来たら、海を見ないと帰れないという気持ちになっている。
着いた!静かな波だ。それにしても誰もいない。ここでパニック状態。なんて臆病なわたし。
すぐに引き返す。。。
戻ると犬の散歩の人が砂丘に入ってこられる。そしてすぐ後から2人、海に向かって進んでいく。よし!ちょっと休んで私も、もう一度行ってみよう。
今度は不安もなく、周りを写す余裕がある。新しく作られた堰砂垣が美しい。
離れた海辺で人が波と遊んでいる。
このいくつもの足跡。
で、足下を見ると。。。
風化していない新しい靴跡が。
これはさっきの散歩中の犬かしら?
足跡が風化されないで。。ということは今日、意外と多くの人が訪れていたのでした。
で、今日の記念に。私の足跡はこれ!
そして目は足跡のない波紋を捉える、よく見ると!丸い石ばかり。
自然が織りなす造形!
波紋の中に石があることで生まれる微妙。
こころにくい自然の造形美!
海が運んできたものが白く風化して存在していたり、こんな場所なのに植物が根を張っていたりする。中田島砂丘にはまだまだ思いがけない発見がありそう。
時間を忘れてじっくりと浸った一時間でした。
そして一人よりも複数いる方が落ち着く一時間でもありました。
帰りは車がそんなに走らない道を見つけて、快適に飛ばしました。
自転車で走るのは楽しい!
いつもは夜更かしの私が早めに寝てしまいました。健康的だこと!
家を建てるということ
家を建てかえることにした。息子夫婦と暮らしはじめて3年半、そろそろ二世帯住宅にしようかということになった。年代の差、価値観の違いでお互いにストレスを感じるよりは、同じ敷地内に二家族が分かれて住むという選択をすることになった。
家を建てるということ。簡単ではない。もちろんお金も要る。できるだけシンプルでいいのだが、始めると持っていたものを捨てて良いのかという思いにかられる。消費社会に生きているしっぺ返しがもろにくる。贅沢な暮らしをしていたものだと思う。基本になる家そのものは新築だけど、家具などは今までのものを使うということにしているが、その選択が難しいのだ。
ずっと使ってきた家を二つに分けるのだから、今までよりも狭くなる。気に入って買ったものもばかりのはずだから、捨てることに抵抗がある。どうしても収まりきれない。今や捨てることも美徳のように言われる時代、よく考えるとやはり何か間違っているように思える。
消費社会にすっかりのせられて、ついつい買ったものが過剰にある暮らしなのだ。捨てることは当たり前になったけど、本当にそれで良いの?と思ってしまう。
便利な暮らし、過剰にある物、それに囲まれていたこと。今もいること。
そこをしっかりと自分に中で整理しないと実は家を建てることが前に進まないということに気づいた。
地震と原発事故のあと、原発をなくすために私は何ができるのか、考えた。まずは電力を湯水のように使う今までの暮らしを見つめ直すことに他ならない。具体的に言えば、食洗機が要るのか、便座は暖かい方が良いのか、床暖房が良いのかという。。。それって、豊かなのか??
消費することを抑える。暮らしそのものを今一度、見直す。
家を建てかえるということ。それはとても大変な作業であり、自分の暮らし方、生き方を問い直す重要な機会を与えられたのだと思い、なかなか前に進まない。
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