私たち

燕 その三

 窓の外で燕の鳴き声がいつもよりも騒がしい。何かなって、窓の外の巣を覗いて見ると。

あれ!3羽しかいない。

あら!巣立って3羽が外の梁にいる。

ということは合計6羽だった。

しばらくすると、巣に残っていた燕たちも外の世界に出ていきました。

その日の夜は巣に戻ってましたが…

次の日には

完全に巣立ちました。

 と、そこまでは良かったのですが、

夜になるとどこで寝ているのか、6羽の巣立った燕たち?

親鳥の方は相変わらず、玄関のインターホンのセンサーの上で休んでますが。

日中は玄関の内側のホールで賑やかに飛び回り止まる巣立ちの燕たち

何か?あやしい動き…

この泥は?

巣作りを始めている!

そこ!さすがに、それはちょっと困ります。

言わば家の中だし、歩く場所だし、そこはちょっと勘弁してくださいよ!

 蛇とかの天敵に狙われない場所ということは理解するけど。。。

泥を落として、ビニール張って、阻止してますが…

燕 その二

 わが家のベランダの燕、なんと5羽の雛が孵ったのでした。

親鳥がせわしく餌を運んでます。

なるべく近くで撮りたいですが、警戒していて…

ガラス戸を挟んで撮ってます。

親鳥はだいたい4分位の間隔で餌を運んできます。

 毎日、小燕たちの糞を片付けるのに真下に行くのですが、以前のような警戒の鳴き声はなくなりました。こんなに小さな巣にいて、大きくなっていくのですから、5羽とも生きられるのか、気になります。

 

2014年

2014年が明けました。
今年もよろしくお願いします

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今年は母の喪中なので。。。年賀のご挨拶や年賀状もひかえました。
昨年は息子の家族と中田島砂丘に初日の出を見に行きました。
今年はたまたま泊まっているホテルの展望廻廊からの初日の出を見る機会がありました。

元旦からしっかりと食べています。この何年か、体調を崩して、食事制限したために痩せ気味でしたが。。
12月の検査では、ほとんど正常になったので無理のない程度に食べても良いかと。。。(^^;;

ニュージーランドの坂を上り下りして戻った筋肉。
年齢を戻すことはできないけど、また適度な運動をしながら、ポジティブに過ごす毎日になりました。

一昨年は伯母、昨年は母、そして、私の傍らに常にいた猫のリオが逝ってしまいました。
そのことは私の心に深い悲しみと悔恨の情をもたらしましたが。

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ニュージーランドでの生活は好奇心をくすぐるには充分な環境でした。
言葉の壁があって理解できないこともあったけど、英語のスクールでの様々な国の若い友人との語ら
いは楽しいものでした。

一緒に出かけた三週間の一度の外での学習、美術館、公園などなど。。やはり楽しい時間でした。
若かったら、挑戦したいことだらけでした。

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そして2013年春

春、医院の庭には花が咲き、小鳥が歌ってました。

水はこころに沁みる音を奏でて流れ、小さな池をつくってます。

2007年の12月、庭はあっても樹々が枯れていた場所はこんな風になりました。

いい雰囲気になってます!うんと昔からずっと存在していたような庭になりました。

新医院を開業したばかりの頃、続けていけるのか不安でしたけど、今はもう心配してません。
バトンタッチは終わってます。

私たちの医院を閉じてから6年、しばらくこの地を離れていましたがこの5月に戻ってきました。こうして記録しておくことで、すっきりと次のステップに歩むことができるように思います。

2008年7月

2007年12月、まさかまさかの展開で消化器内科の医師となっていた長男が開業することを決めました。で、今までの医院を縮小した形でのリニューアルをしました。

2008年7月、突貫工事でなんとか開業することができました。

すっかり違う空間になった新医院です。内科、消化器内科、肝臓専門です。

診察室 パソコンがあって電子カルテと最近の医療は大きく変化してます。

処置室です。

エコー、内視鏡室です。

全体に白っぽい病院のイメージをさけた設計になってます。人の気配が感じられるのは良いですね。

待合室から庭が見えるようにしました。雑木林のような庭によってほっと癒される空間をイメージしてました。
でも、暑い夏7月、木を植えるには適してなかったので、この時は何も樹が植わってませんでした。

去年の医院の庭の様子です。

医院の中が明るく、ひとの温もりを感じさせます。ほっとした日でした。

2007年11月

2007年11月末、私たちが27年間、働いてきた仕事場を閉じることになってしまいました。
今はもう存在してないその場のことを記録として、ここに残しておこうと思います。

正面玄関を入ると

待合室がありました。受付のカーテンが明るい。。。

カーテンの内側は事務と薬局でした。

ドアの向こうは診察室、廊下の先にはレントゲン室や手術室があり、階段を上がると病室でした。

ドアを開けると診察室と処置室(理学療法)に分かれてました。

レントゲン室。。。

どの場所もひと気がなく、時間がそこで止まってます。
まさかこんなに早く医院を閉じるとは思ってなく、もっと働くつもりでしたが。。。

そうそう処置室の窓からはこの奥の庭が見えました。

医院の整理で。。。すっかり荒れてましたが。

医院を閉じた11月の時点ではこの仕事場はこれからどうなるのだろうと思ってました。

猫と私

このこ、チンチラのリオ、16才になります。人間の歳だと80才くらいなのかな?おじいちゃんです。

若い時は俊敏で飛んでいる小さな虫でも飛び上がってキャッチしてましたが今は老齢なのでもう無理です。起き上がるとフラフラとしてバランスを崩すことも多々あって、足をすこし引きずりながら歩き始めます。それでも顔つきはしっかりしているので獣医さんにも16才には見えないと言われます。

犬は飼い主の様子を常に気にかけていて従順だけど、猫は勝手気ままだと言われてますね。犬は人につく、猫は家につくとも言われます。リオは家につくことができないほど生まれてから居る場所がコロコロ変わったせいか、家ではなく人についているように思います。

私のところには3才位から来て暮らすようになりました。この5年半、一緒に暮らせない日々もあり、ちょっとストレスを抱えてましたが、この半年ほど一緒に過ごすうちに落ち着きました。以来、私の側から離れません。私が一階に居ると一階に、二階に居ると二階に。私が移動すると必ずやってきます。そして私の近くで寝そべってます。

一階の定位置はここ!他の人が入ってくると警戒するので見えない場所、ソファーの裏側にいます。

二階にあがるとすぐ追っかけてきて、まずはまたすぐに降りるかもと。。様子をみるために階段の一番上に手をかけ、次の段に座ってます。

私が二階に落ち着くと定位置はここです。

こうして私を頼って安心して眠っているのを見ると。。

しばらく家を空けることが。。。
海外に連れて行くには歳をとり過ぎていて。。どうしたもんか。。

さっきから早く二階に行こう!もう寝ようよ!と
ミャアミャアうるさいリオ!!
こんなに長く一緒にいると猫語も日本語もお互いに理解できるのです。

蘇ったバイオリン

埃が積もって、でもケースに入って保管されたまま40年ほど、義父が使っていたバイオリンを初めて見ました。次男の嫁さんのEさんが見たい。できれば使いたいということで。このバイオリン、フタを開けると買った時の領収書が入っていたそうです。「昭和24年5月20日の日付、約16000円。京都市左京区熊野神社前上ル 徳田屋楽器店」という内容が書いてあるという。(当時の初任給の35倍が今の貨幣価値ということで計算すると56万円かな)

義父がこのバイオリンを手にする時の話が伝わっています。この楽器店に訪れた義父はこのバイオリンではなく、他のバイオリンが良いと思ったそうです。そのバイオリンはどう見てもストラディバリと読めるが値段が安くて、それを友人とコソコソと話して、いったん外に出て。。でも気になって、戻った時には値段が上がっていたそうです。お店の人がコソコソを聞きつけて気づいたのでしょう。それでも何とか工面すれば買えない値段ではなかったが、お金をかき集めないといけないので諦めて買ったのがこのバイオリンでした。という。ちょっと残念というか。。曰く因縁があるのです。

このバイオリン、チェコスロバキア製です。バイオリン職人の方に弦も切れ駒も魂柱も外れているけど調整できるかと持って行って聞きました。これは手作りではなく工業生産のものだがごく初期のラインにのって作られているので手作りに近いものがある。調整しないとわからないが良い音が出る可能性があるということでした。ニュージーランドに行く前の限られた時間だったので職人の方にはお願いできず。

そこで次男の家族が教えてもらっているバイオリンの先生がなんと調整してくださって、次男家族がニュージーランドに行く前に間に合ったのです。先生が「素晴らしい音ですよ」と弾かれて、その音の響きにびっくり!こんなに凄い音が出るなんて。。先生の話ではこの楽器はコンサート会場などで弾く楽器です。とにかく弾くことが一番です。それでますます良くなるでしょう!って。

そんなわけで孫達の可愛いバイオリンと一緒にニュージーランドに旅だって行きました。

さて、Eさんの話では「このバイオリンを手にしてから、今までの自分のバイオリンは全く使わなくなりました!」

お祖父ちゃんのバイオリン、蘇って良かったです!!
いつか孫達に継承されるのかも。
曾お祖父ちゃんのバイオリン!!って。

初日の出

2013年元旦は中田島砂丘からの初日の出を拝むことにした。珍しく早起きして、初日の出バスで行く予定だったのだが、家族全員が揃った時はバスに間に合わなくなって、車で行くことにした。一時間前に出かけたので駐車場も待つことなく止めることができ、砂丘に向かう。

6時20分、まだ暗くて足元も見えないほど。東の空、太陽の光が赤い。
3分後、人が見えるようになる。

3分後、目を左後ろに。。。よく見てください。凧が揚がってます。小さな点ですが。。
ここは凧揚げ会場にも近いのです。

10分後、人々がどんどん増えていく。不思議なものでできるだけ太陽に近づいていきたいという心理なんだろう。東に東に行く人々。

5分後、我が家の家族は何を見ているのか??
寒くてじっとしていられない・・・

その時、空の色が変化したのです。

雲に太陽の光が当たって、反射しているのでしょうね。
5分後、美しく染まってます!

そして4分後、光の中央が黄色くなってきました。

3分後、中央の光が強くなって。。。

初日の出!6時56分。人々の歓声があがりました。

感動の瞬間にはこんなドラマがあるんですね。
半円になったオーラの真ん中をよく見てください。

あけましておめでとうございます。
今年もよろしくお願いします。

この左の赤い土壁の門から右に一直線、ずっと塀が続く家は明治23年に建てられました。
こうして全景を見ることができたのはほんの二年もなかったように思います。

建てられて115年ほど、前に見える緑地の場所には本家と言われる大きな家がありました。
今現在、その緑地は地区の運動場になって周囲をフェンスで囲われてます。

この家のことをすこし紹介します。
ここが正面玄関です。もう少し近寄りましょう。

では玄関を入ってみましょうか。

入って後ろを振り返ると。。(自転車などを気にせずにしてくださいね。)玄関から光が入ってます。
あの木戸をくぐって入ってきました。

この位置から、少し上を見上げると中二階、二階、三階と。。。

もう少し上には大きな梁が幾重にも。

この土間はかなり広いです。
そのままくるりと廻ってみましょう。

私は初めて入った時に、このとんでもなく高くて大きな空間に驚いてしまいました。
この家がこんな空間をもっているなんて、中に入らないかぎり、想像できないです。
ただしけむり抜きの穴が空いていて、外気が入ってくきますから、冬は寒くてコートがいります。

最初の全景を見るとなるほどと大きくて当然だと思うのです。
こうして後ろに引いてみて初めて大きさを確認しました。

明治の人の家を建てる技術は凄いですね。