私たち

ふたりで

この前の日曜日のこと、三才になる孫と電車に乗りに行きました。

最近、電車の名前を覚えて、電車の絵本を読んだり見たり、時には絵本をまねて、おもちゃの電車で再現したりするのを楽しむようになりました。でも少し攻撃的かな?脱線している。

これは切り替えが必要かもしれない。ということで本物に会いに行くことにしました。

お弁当を作って、二人でお出かけです。まずはバスに乗って。

次は東海道線に。窓からは電車や新幹線がすれ違います。

窓の外も飽きてきて、こんどは車掌さんの動きが気になります。でも小さな彼には車掌さんが何をしているのかは分からないのです。ドアの開閉もアナウンスも車掌さんとはつながらないのです。そういうことなんだと私の方が納得でした。

だんだんつまらなくなって、停まる度に降りようと言う。新幹線が停まる駅で降りて、新幹線のホームに行く。停車した新幹線、見つめる目が違う。。

名古屋駅。次は特急を見よう!「しなの」「セントラルライナー」キョロキョロ。

さーて、そろそろ名鉄のパノラマカーに乗って帰ろうか。昔は赤い車両7000系だったけど、今は素敵な車両2300系、けどミュージックホーンは同じなんだ。乗ってしばらく、疲れてダウン!じつは私もです。

やはり格好いいね。彼がずっとミュースカイと言っていたような・・・

それから東海道線で帰ってきました。

彼の背中はなんとなく満足感が。。少しお兄ちゃんになったかな。いい日だった。

家族と過ごして

久しぶりの日曜日、朝「今日は何か予定ある?」と息子に電話した。「あっ、ちょっと待ってね。後で連絡するから」と何か、ばたばたしているのが伝わってくる。

まっ、急ぐ話でもないので綴れを織ったり、家の中の雑用をして過ごす。お昼も済ませて、それにしてもと電話すると「今、公園にいるよ」「いただいたお菓子があるけど」「じゃあ、そちらに行くか」ということでやってきた。

息子と二人の孫、上が3歳になったばかりの男の子、下は1歳半の女の子、「おばあちゃん!」と玄関から、おもちゃのある居間に突進!あっという間に部屋の中は子供部屋と変わってしまった。

小さなこどもの本棚から彼が好んで出してくるのは、昔、息子たちが読んでいた古い本、トーマスシリーズ、意外と長い文章の本なので読み聞かせるのはまだまだだ。けど絵を見て簡単に話すことはできる。半年前に話したことを覚えていて、彼が説明してくれる。いつのまにかトーマスの仲間の電車の名前も全部、言えるようになっている。YouTubeなどで覚えたらしい。いつものことだけど、なんども同じ本を最初から読む(見る)のをリピートさせられた。

彼女は女の子なのにお兄ちゃんと同じが良くて、女の子らしいおもちゃに興味がない。彼の遊びに次々に侵入し、なぜか取り上げてしまう。そのたびにお兄ちゃんに倒されたりして痛い目に合うのだけど、けっして負けない。そしてとうとうお兄ちゃんが悲鳴をあげる。彼女の歯形が彼の手に。いつものことだけど。。

それぞれ別の遊びをすれば良いのに子どもが集まるとそういうもの。ほかの子の遊ぶものに興味をもつ。で、けんかになる。人間ってやはり人の間が好きなんだ。

『あーんあん』の本は大好き。彼女。いつのまにか「あーんあん」と大きな口をあけて一緒に声を出すようになっている。子どもの成長って、すごい!

彼らのママは論文の発表で午後から出かけて、息子が子守りをしていた。ので息子は疲れて一眠りしている。それでもオヌツを交換したり。。。上の子が生まれた時以来、いつも子どもと共にいることを幸せに思っている息子の姿を見てきた。母としてはとっても嬉しい。

ママが終わって迎えに行き、ママの誕生祝いをしようと外に食べにでかけた。

お店の人が気を利かして子連れでもゆったりできるところに席を取ってくれた。バイキングだったのでみんなで山のように皿を重ねてしまった。なんという家族か!!

その席での息子夫婦の会話。お互いに同じ職種。専門資格をとらないといけない世界なので来年は一年かけてなんとかクリアしようと言う。仲間の誰かの勉強方法、ネットを使った方法などなど情報交換に余念がない。子どもたちはその中でたくましく野方図に育つ。保育園でどちらもボス的な存在になりつつあるらしい。

そうそう、親子ともに頑張れ!
家族と過ごす時間はじつに楽しい。それに教えられることも多い。
孫のようにたくましく、息子たちのように目標をもって、今のようにひとりではなく人の間にいたいとつくづく思う。

母さんは

この3週間、腰痛で車を運転するのをできるだけ控えていると、なかなか母のところへ行けなくて。。。行けないまま、いつのまにか日が経ってしまった。悲しい顔をしているかなあって、気にしてましたが、オットどっこい!母はすっかり元気になったらしい。

ケアセンターがとても気に入ってずっとこのまま居ると決めたらしい。楽しく暮らしていると弟から電話があった。ふふっ、彼女の切り替えの早さを忘れていました。そうよ!断ち切りが早いというか、いつも見事だったっけ。

変わらんなあとほっとしました。

自分用のテレビが入り、好きな野球観戦ができれば、何も要らないんだろうと思う。そう言っているらしい。物にも人にも執着しない彼女らしい。まあまあ良かった。

親子なので似ていることもあるけど。。私の方が長く悩む。。。^^;

なんということ!

この二週間、腰痛とそれに伴って起きた大臀筋の激痛で薬の服用を余儀なくされ、以前から副作用があって合わない痛み止めの薬を飲み続けて、痛みがなんとか楽になったのですが、昨日、一ヶ月に一度の血液検査の結果、肝機能の値が病気の時に戻っていると先生に言われてしまいました。

痛み止めの薬、いつも顔が腫れるとか、気持ちが悪くなるとか、副作用が出ていたのですが、痛みに耐えられなくて、病院からの処方だからと飲んでました。

その薬はよく理解できてないですが、肝臓を通して痛みを軽減させるんだそうです。だいたい私は薬の副作用の多い身体で、他の薬でも急性肝炎を引き起こしたことがあります。

そうなると、これからは痛み止めは座薬しか使えないと薬剤師さんに言われました。けど、息子が調べてくれて、それもダメなんだそうです。

まあ今回の症状は薬をやめれば、値は下がるので良いのですが、これからは腰痛を起こさないようにするしかないです。パソコンに向かう姿勢とか、休まないでずっと座り続けることとか、意外とそんなところに腰を痛める要因もありそうです。

早寝早起きかなあ?できなさそうだけど。。。

検査結果ではあまり凹まないけど。激痛になるまで自分の身体を痛みつけてはいけないと反省中です。

捨てる話

この頃、家の中の整理をしている。兵庫県の但馬地方から浜松に移って、浜松にいることが長くなって3年、こちらでの役目も終わって、そろそろ但馬に帰ろうと思っています。

たまたま千代里さんの『捨てれば入る福ふくそうじ』と近藤麻理恵さんの『人生がときめく片付けの魔法』を読み、そうか!掃除と捨てる作業はシンプル人生のはじまりかと。ときめきをポイントにする捨て方!でした。

が、まだまだ人生という道の先が続いている若いお二人とは少し違う。ある日、突然、その道の先が見え、限りある人生を実感した、その瞬間からの捨てる作業はもっと潔くないと。

長く生きたら、その分だけ、ものも増えます。けど、人生の最期は生まれた時と同じで何も持たずにこの世から消えていくわけです。それまでに自分のものは自分でお別れしないといけない。何も持たずに生まれてきたのだから、真っ白で良いと。

私の母は93歳になります。今は自室があるホームのケアセンターに居ます。自分の身の回りのことはできますが、夜中のトイレに行く時にぼおっとしていて、転んだりするので自室で一人で暮らすことはできないのです。けど、センターに居ると笑顔が暗い、時々、自分の部屋に帰ると別人のようにいい笑い顔になります。自分の居所って、過去に繋がる場であり、ほっとして存在を実感する場なんでしょうね。

良い笑顔でしょう。このままで居てほしいですが。。。母に内緒で公開!(後悔するかなあ?)

自分の家で家族が最期まで看取ってくれる人はそのまま幸せでしょう。けど、最期は病室だったり、施設だったりすることが普通なのかも。そんな時にボケてしまうと言いますね。

だからこそ自分のものや場に固執しないでお別れする必要があるとつくづく思います。捨てるということは心に残すことだと思ってます。その心に残したものも昇華させないと。。。真っ白になれたら、どこでも笑い顔でいられるように思うのです。

そんな終着点に向かって、捨てる作業してます。カチカチとこだわっているわけではなくて、楽しみながらですよ。なかなか捗らないけど。。。溜め込んでいたから。

それはけっして後ろ向きに生きることではなくて、どんどん前に進み、いろいろ吸収し人生を謳歌しながらです。ときめきながら、捨てていくんです!!

 

ぎっくり腰で

今日の浜松は快晴!

もう一週間も腰が痛くて、何もできない。
今日はすこし良くなったのでブログを進めようかと。

この一週間、何もしないで寝ていた。食事は簡単に作ったけど。食っちゃ寝で少し太ってきた。それだけが嬉しい結果である。

何にもしないって、ストレスにはならない。あれもこれもと手を出すクセが抑えられたのは私にとっては良いことなのだが。まったく、よく寝られるものだと感心しながら、寝るきゃないから。というよりも腰が痛いのに織りもできなければ、パソコンも打てない。

うーん|また痛くなった。このパソコンの姿勢が良くないのだろう。

ということで中断を余儀なく。。。

そして今日も暮れた。